炙ったどんぶり

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買い出しがてらお昼をいただこうと思っていたけれど、行こうと思ったお店はどこも年末年始の休みに入っていた。考えてみれば30日。そういう休みでいいと思うと感じる。

そしてお寿司をいただく。すごく美味しかった。

年末年始は弟一家と過ごす毎年ですが、今回(2年連続)それぞれの家でという事になった*1。慎重である方に合わせようと考えているので、次はみんなで集まることが出来るといいなと思う。

昔のことや風習が大好きで、周囲からはさぞ古い家で古いしきたりを前向きに全身で喜々をして浴びて暮らしてきたのだろうと周囲に思われています。当たっている部分もあれば外れている部分もある。そんなものですよね。

外れている最大のものは、母は古い家で様々なことを時には浴び、時には押し付けられてきた人であったけれど*2、それを私に伝える(わが子にも当然の正しさとして学ばせる)ことには真向から反対の人でした。意識する範囲では限りなくわが子には教えなかったように感じます。彼女のたどってきた生き方がそうさせたのです。

私は学びの場があれば喜んでそれらのことを知識と共に身につけただろうし、その上で色々と考えることもあったかもしれないけれど、母自身はそれらに私を近づけさせませんでした。ですので勝手流。無意識というのは大きいので自覚なしに押し付けることも多かったかもしれないけれども、意識する範囲では遠ざけました。極端な面はあったかもしれません。そしてその極端さは多くの家庭に当たり前のようにあるのかもしれません。

そしてそれを私自身は残念に感じいることも多かったように感じますし、おそろしく影響を受けている面もあるように感じます。

おせち料理の話だと私が作りたくて、いつの間にか家の味になったものも多かったし、受け継いでいるものもあります。祖母の時までは受け継がれていたけれども断絶したものもあります。

私の感覚では、年末年始の行事は当たり前のように私の中にしみ込んでいたけれど、おせち料理の中身は常に新しいような気がしています。そしてそれを残念に思うこともあります。と同時に「これはいらん」と思いつづけたこともあります。

そして祖父母、父母がいなくなってからは微妙に考えが変わってきたようにも感じます*3

「そのお節、いいな」と思うものや、「なにそれ!?」と興味がわくもの、味付けを教えていただきたいな…というお節を作っている友達がすごく多い。家の味じゃなくて、色んな家の味をうちのお節にしたらいいんだ!と思いいたり、今では友達に配合や作り方を聞いたりして内容が増えたり減ったり、私の実家のものがあったり…伝統という言葉の解釈を自分の中で変化させています。伝統、家の味といっても、そういうことの積み重ねであったろうし、明治、大正までさかのぼるとまったく違っていたはずです。母の幼少期の話を聞いても「いまとは違うな」と思っていたのですから。

ことしは2品、友達に教えていただいたものを作っています。

*1:弟一家が希望した

*2:着付けは当然のこと、お花、お茶…多くのことを学んだ人

*3:本当はいつも変化しているかもですが