挿し穂

写真は挿し穂です。根がはりますよーに☆フレーフレー。
いつも色々とお世話になっている植木屋さんが申し出てくれて、2株ずつ(2種類の挿し穂があります☆)預かっていただきました。育てる場所と管理人を分散させて少しでも成功させるため。細くて弱々しいものも挿し穂にしたのだけど、フレーフレー。
植物って不思議です。太陽光が届かず幾年も地中に埋もれていた種が(さまざまな偶然が重なり)芽吹いたり、こうして挿し穂することによって根をおろしたり。私とは決定的に違う何かを感じずにいられません。身近にあっても遠い遠い存在だと(フトしたときに)思うこともあります。
けれどその違いを通りこして胸にせまってくるものがある。人は体験だけで生きているわけではないと感じさせてくれる。私という人間は、体験していないことを共有できたり共感できたり、体験していても共有できなかったり共感できなかったりするということを気づかせてくれる。
きょうは美味しいご飯をたべて、長い長い話を従姉妹としました。いろいろあるよね。で片付けるには納得いかないことも多いけれど、やっぱり「いろいろあるよね」なのだと感じました。私もあなたも。そして「いろいろあるよね」には具体的な話をしなくてもちゃんと通じるときもあるという、肯定も多分に含まれていると思う。
写真の挿し穂の親は、いまはもういません。私は親だった樹木に思い入れがありました。同じ種類の木は沢山あるけれど、私が思いを寄せているただ一本の木がこの世からなくなってしまうのが(自分勝手と重々承知のうえで)どうしても名残惜しかったです。そういうこともあって、いろんな人のお世話になって写真の挿し穂に至っています。一見(実際にも)心細くたなびいているように見えるけれど、いまの環境を目一杯味方につけてグングン生長してほしい。フレーフレー☆☆それは従姉妹も同じこと。