ココロよ君は…

写真は、ほぼ日手帳のカバーに描こうかと思って(彫っている最中の)版木に落書きしたもの。もう今は彫ってしまいました。息抜きがてらちょこちょこ進めようと思います。
ココロよ君は邪魔です。という書出し(だったと思う。漢字の使用個所とか違うかもですが…)ではじまるエッセイがあります。ただただあっけらかんとココロについて書きたい時でも、この言葉には情緒的なニュアンスが含まれてしまい「心」と書いても「こころ」と書いてもそういういらないものがついてきてしまう。かろうじてカタカナのココロはどうだろう…というような内容。
わかる、わかる!憂いや喜びに満ちた心を書く人はたくさんいても、こういう風にココロについて書いてくれる人、私は知らなかった!と感じた(そのエッセイを読んだ)のは12、3年前。もう少し前だったかもしれません。
ときどき「自分自身の心を持て余してるわぁ」とイライラしたり、しょんぼりしたりした時は、いつもこの「こころよきみはじゃまです」という言葉が思い浮かびます。そう思うと持て余している心やこころがココロになる気がする(気がするだけで、やっぱりならないけれど)。作者はこんな読者がいることを意識してはいなかったでしょうし、そのエッセイを読んだ時の私もそう感じはしなかったけれど、自分の持て余している気持ちにかけてやりたい言葉としては、ピッタリど真ん中。