1歳

銀四郎
銀四郎は生後11ヶ月で阪神淡路大震災を体験しました。銀ちゃんは滋賀県彦根市出身ですので、もし我が家に来ることがなければ、色んな場所に連れ回されることもなく、怖い思いも少なかったのでは…と思ったものです。
震災にかぎらず「もし…」は誰にでもありますし、時折思ったり、冗談まじりに話*1になることもありますが、もし5分早く起きていたら、もし5センチずれて眠っていたら……助かったのに。助からなかったかもしれない。という出来事に対し、なんらかの意味を与え自分を納得させることが訪れた瞬間は、ありません。
そういうことは意味はなくただそうだったのだ。というのも意味を与えるということであれば、それが一番腑に落ちる感じもしますが、それを本当に納得するには、何度も納得のできない意味を通り越す必要があるのではないかと思う時があります。
私は昨年、まじめに(ほんと☆まじめに)「もし私の人生が変わるのだとしたら、どこがターニングポイントだったのか」ということを真剣に考えざるを得ない状況になりました(考えたって今の生き方が変わるわけじゃないけど)……導き出した結論=産まれる前に戻るしかない。でした☆☆『え?そんなはずないんだけどなぁ』と何度も考え直しましたが、それがもっとも有力であると思い、母にもまじめに研究報告?をし「私もそう思う☆」と賛同を得たのでした。生まれ変わる。じゃなくて、産まれる前に戻るしかない☆です。
昨年の研究報告をあえてブログに書くほどですから、私は「もし」は滅多に考えないタチです。なんだかメンドクサイ。今のことを考えていた方がずっと合理的な気がする。「もし」に対して無関心。情緒なし。
それでも昨年は「もし」を考えましたし、改めてもうちょっと考えを深めると、「もし」はけっこう転がっていました。
なんだかつらい時、不可抗力な出来事を前にした時に「もし」を思って、自分を叱咤激励することもあれば、そこからまったく動けない自分も同居しています。それは阪神淡路大震災よりもっと前から。そして17年前の震災や昨年の震災、それ以外の震災、災害、自分の心にひっかかる出来事を通して「もし」は増えたかもしれません。さらにはビックリするほど小さな出来事、あまりに個人的な「もし」を探せばいっぱいありそうだということに気付きました。*2
イヤでもせざるを得ないのかもしれませんが、大きな災害は誰かと「もし」を共有できる場であるかもしれません。大きな中の小さい(そしてその人にとって宝物のように大事な)ことに触れて傷つけてしまったり、違う考えに憤ること、許せないと思うこともあるかもしれないけれど、静かに「もし」を共有できることを大事にできたらと自分に言い聞かせます。それは遠くの人や出来事、いなくなってしまったモノを、親しみを込めて忘れないということだから。
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*1:父によく「おめぐ(父は私のことを「おめぐ」と呼びます。「千代」さんに「おちよさん」と呼ぶようなニュアンス。)がもし身体が丈夫で長男やったら、この家はどうなってたやろうなぁ…潰されてたかなぁ…と言われたものです。「もし」が2つ重なると、それは他人ですよね!

*2:でも、産まれる前に戻るしかない。の壁は厚く、すべての小さな「もし」をかき消すのですが…だから特に自分の「もし」に対して無関心なのかも。