銀四郎くん

銀ちゃんの一周忌。もう1年もまえ。でもまだ1年しか経っていない。
思い出します。きょねんの今朝、私は岡山県にいた時に銀ちゃんの訃報の知らせを受け、用事をとりやめて帰ったのでした。
いつも私から銀ちゃんに話しかけていたことがあります。「銀ちゃん。無理してガンバッテ、私を待ってなくていいからね。」……母は反対のことを話しかけていました「銀ちゃん。絶対に私がいる時に逝ってね。私がいない時に死んでしまったらアカンよ。おかあさんがいる時やからね。」
結局、銀ちゃんは私を待たず、母が部屋にいる時に眠ったまま息を引きとったのでした。それでよかったと思っています。
銀ちゃん以外でもこういうことが何度かありました。伝わるものなのかもしれない、言う方にも言われる方にも。頑張るとか頑張らないとか無理するとかしないではなく、無意識のうちにお互いに感応しあって、自然に寄り添ったり、寄り添われたりして、死に目に会えるのかもしれない。と、ここ最近思うようになりました。「あの人に見送ってもらって、本当によかったね。見送ることができた人も幸せだね。」ということをたくさん見たから。
そう思うようになったとして……けれども私は「待ってなくていいからね。」と言い続けるような気がします。どんな時も、誰に対しても。じゃあ私が死ぬときは?誰かや何かがそばにいてくれたら嬉しいですね。矛盾しているけれど。