商品に値札ではないラベルがついている時、あります。のこぎりの柄の部分とか、植木鉢とか。ヘンにコーティング剤がほどこしてあるのもありますね。
ほとんどの場合「ラベルないほうがいい(ニスないほうがいい)のに…」と、思ってしまう私がいます。ないほうがいいと思った場合は、購入段階で(購入自体を)躊躇し、購入した場合はラベルをどうやってはがすか?を、吟味する程度に、私は気になります。
綺麗にはがせるラベルを使用していることもあるけれど、印象としては、はがしたいラベルほど、無暗にはがすことを許さない粘着力と素材と存在感で出来ている気がする。
底意地の悪い私は、こんにゃろーとばかりに、ラベルをはがすのに熱中するわけでだけど、木を使っているものなんかは、ラベル以外の部分が日焼けしている場合があって、さらなる、こんにゃろーの連続。
ヤスリをかけたり、油を塗りこんだり、蝋をひいたり…「こんにゃろー」と、あーだこーだ改造?されている真っ最中の道具は、傍目には「ものすごく大事にされている」状態になってしまっています…。
……こんにゃろ、こんにゃろ!と、四苦八苦している時に、だいたいは楽しい気持ちなんだけど、時々、自分ではどうしようもない(いい意味じゃない意味で)業の深さを感じます。自分の身近に置いて、日常的に使う場合を考えた時、なぜ、実用とはなんら関係のないラベルひとつが、こんなに許せない時があるんだろう…って。大事にするために、大事にしたくなるような状態にする。のではなく*1、許せない気持ちが、まず先にある気がします。
ただ今、時間を見つけては木槌改造中。
写真は扇面。木版です。そのうち、ちゃんとアップします。陸地にいるカメと、水辺にいるカメが合計7頭いるのだけれど、最後の最後まで「この7頭のカメを銀河に漂わせるのはどうか」って迷ってました。

*1:もちろん、そういう面も当然ありますけれどね。