写真は糸。なくなりかけの糸。よく使ったものだ…ただいま、家にミシンがないので(ずっとないけど)なんでも手縫い。手縫いはめちゃんこ早いよ。状態。
今は袋チクチク製作中。というのも、1メートルサイズと65センチサイズの袋は15年選手がいるのだけど(絵運ぶための大きくて、薄っぺらくて、丈夫な袋(バッグ)です。)その中間サイズがない。それは、今まで必要なかった。でも必要になった。からです。
家にある布で作ろうと、いろいろ物色したら、草間さんのような水玉(紺地に赤水玉)のキッチュなのがあったのですが、見ているだけで目がチカチカしてきたので却下。
つぎは中近東あたりの織物(おそらく壁掛け用)の大きな布。あまりにステキすぎる柄*1で「これは使いたい」って思ったけれど、サイズが大きいので、どこか切ってしまわないといけないのが惜しくて却下。
つぎはアフリカの何とかという布。真ん中ですっぱりと切って、上半身と下半身の洋服にする布で、色も柄もよいものが多く、なにか言葉(格言みたいなの)が書いてある、その土地のもので、何種類か持っているのだけど、こちらも(サイズを考えると)乱暴な切り方をしないといけないのが惜しくて却下。
結局ははじめは考えにいれていなかった布にしました。裏もつけるから丈夫にするけれど、表面の布が薄くて摩擦に弱そうなのが心配。時間を見つけてチクチクする。
15年選手の袋、ふたつは、今は亡き祖母の手製で、ずいぶんリクエストをして作ってもらったのを昨日のことのように思い出します。
私が小さい時から、私が望むもの、あんまり望まないもの、なんでも作ってくれたけれど、今使っているふたつは一番長い付き合いですね。いつも一緒。
そういえば、この前、天善堂さんでニット作家さんの丹生さんが、かぎ網でなにか作ってらして、なんだか懐かしさでいっぱいになりました。私は棒編みはできたけど、かぎは苦手でぜんぜんできなかったです。そのうち先生であった祖母が他界したから結局出来ずじまいで今に至ってる。
丹生さんの毛糸を持つ雰囲気とか姿勢とか、手の動き、早さ。なにか全部が懐かしかった。連れて帰ってきた帽子もかぎ編みだしね。
私の周囲には針や糸、布、縫い物をされる、魅力的な方が多くいらっしゃるけれど、私にとって手仕事の原点、原風景はここにあって、敬愛と尊敬をしているんだと、この頃、つくづく思います。
あと、手仕事の原風景は料理ですね。祖母は料理も好きでした。
あの時代の人だから、針仕事や料理は身につけて当たり前のこととして、しなきゃいけないことだったんでしょうけれど、心から楽しんでいた姿が、私の中に決定的ななにかを残していると思います。片付けが心から嫌いで苦手だったのも、祖母だったです。
祖母は、自分が楽しんでいたものを、自然に楽しくやってみせて、私をそれなりに放置して、その上で私に楽しむことを教えてくれたのだと思います。
なんて書けばいいんでしょうね。祖母が楽しくて楽しくてしかたなかった世界を、キラキラさせて私に見せてくれた。かな?…祖母のろけなので、自粛したいところですが、祖母のろけは止まらない私です。

*1:地べたを這う虫から空は鳥まで、さまざまな植物と動物が染めで表現されているんです!!