見当違いをしないための道具。見当ノミです。
写真の刃物(見当ノミ)で、絵がズレないために版木に印をザクザク入れます。「見当ノミ」と言うくらいですから、見当を入れるためだけに作られた道具。贅沢だと思います。この道具の存在を知った時、単純に「ぜーたくな道具があるもんだ。お金ないしもったいなくて買えない。バブリーという言葉はこの道具のためにある」と、バブルを謳歌できなかった世代の私はくらーい表情で思ったものです。多少の誇張は入っていますけれど…。
人にもよりますが、わりに多くの方が「見当ノミは最初にそろえた方がいい道具」とおっしゃいます。私には何故そう仰るのか全然わからなかったので、そろえなかったです…。見当ノミは値の張る彫刻刀一本より高く、予算的にも無理だったのもありますけれど、やっぱり「そこまで必要な意味がわかんない」って気持ちの方が大きかったです。傲慢な私!
それでも見当を作るのは必要です。どうしていたのか?彫刻刀の中に平刀というものがあり、見当ノミと形状が似ています。平たいところが似ていて、それを応用すると、平刀は見当ノミの役割をしてくれるのです。ですので私は長い間、平刀で見当をつけていました。それで問題に感じたこともなかったですし。プラス、私の偏見なんですけれど、なんだか道具だけ立派なのを揃えて、それ私に使いこなせるの?こわいこわい。と感じていたのも、見当ノミを私から遠ざけていた要因でもあったのです。……ちなみに私が使っていた平刀は小学生が図工の時間に使うようなものです。研げばよく切れます。
しかし、ある時、とうとう(出来心で)マイ見当ノミを購入。使ってみたら…「見当ノミ使いづらい!」というのが第一の感想。私が使っていた平刀にくらべ刃が厚い。持ち手が太い。文句たらたらでした。
しかし切れ味の鋭さと見当のつき方は素晴らしいものでした。文句たらたらでも、なるほどそのためだけに作られた道具。と実感しましたし、見当が木版画にとってどれほど重要なものなのかも、あらためてわかった気もしました。
なにより見当ノミは見目麗しいです。出来心が生じたのも、私がいたく尊敬している先輩が、使い込まれた美しい見当ノミを、美しい姿勢で使っている姿に憧れたからでした。