さて、摺るぞ。と、バレンを持ったらあらあら…バレンを包んでいる竹皮に皺がいってます。私の不注意で水がかかったみたい。これでは使えません。違うバレンに換えて事なきをえました。
うちには3つのバレンがあり、目的によって使い分けています。しっかり摺りたい時はそういう摺りが出来るバレンを。ふんわり、ざらっと摺りたい時はそういう摺りが出来るバレンを。という具合に。いいバレンは目的に合わせて作られている道具です。
しかしながら、いいバレンを使いこなすには荒馬を相手にするように(したことないですけど)対峙しなくてはいけません。使い始めはこちらの言うことなんぞてんで聞いてくれないのです。「なに?お前に使いこなせんの?」という風情。よいパートナーになるためには覚悟が必要なのでした。って、大げさですけれど、私はバレンを使えるようになるまでに丸3年ほどかかりました。
丸3年なにをしたか?作品は別の(もう慣れている。私の場合は手頃で使いやすいバレンを使用してました。)バレンで摺って、荒馬バレンはなにも彫っていない板に紙を置いて、ただただ摺る。をくり返します。来る日も来る日も作品作りとはなんら関係なく、バレンのために時間を作り自分の手にバレンを馴染ませてゆきます。
3年経って「荒馬をものにしたぜ」というわけではなく「ようやく、歩み寄ってくれたかな」と思えた気持ちでした。
いいバレンは荒馬でもありますが、組み直し、編み直しが出来、使い方次第で2代、3代。親方から弟子へ…と、世代を渡って使用できます。何度か明治、大正期に作られたバレンを見せていただいたことがありますが、使い込まれており、傷やクセなどありますが、それはそれは実用性にも見た目にも美しいものでした。ももとせを過ぎ付喪神になりつつあるんだな…と思ってしまう、畏怖の念を抱かずにはいられないような道具でした。
私のバレンはというと、やっとこ駆出し。という状態ですね。
写真のお月さんのようなのが、うちの(3つのうちの1つ。今日、濡れてしまったヤツ)です。下の黒いのは、おそらく化学染料で染めてあるズボン。手織りです。手織りは洗えば洗うほどクタッと馴染んでくれるので、洗いまくっていますがほとんど色落ちがしないです。化学染料は堅牢度がハンパないと思います。