茄子ミート

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茄子ミートドリア。ひさびさです。陽ちゃんとも久しぶりに会いました。短い時間だったけれど、嬉しかったです。

スーパーに秋ナスが並び出して嬉しい。ナスは夏の間中ずーっとモリモリ食べていましたが、秋ナスは秋ナスの火の通りが早くてトロッとした良さがあって最高です。陽ちゃんと2人でナスを思う存分に褒め称え、美味しい家の調理法を言い合いました。オリーブオイルと白だしのコラボが美味しいのだそーです。聞いただけでもおいしそー。

メールの返信を書いたり、電話をしたり、そういうことに追われています。夜に和紙も切って版木も彫りました。彫ることが何より好きな小さい人も(私が眠っているあいだに)ちっとも来てくれないし、紙をカットすることが何より好きな小さい人も来てくれないから頑張るしかないです。彫りながら、そーいえば水張りすることが何より好きな小さい人と額装することが何より好きな小さい人も来てくれないと困ると思いました。

パン

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この間のことになりますが、ひさびさのパン準備。1ヶ月振りくらいでしょうか。カボチャとくるみ、玄米粉を入れて。

いつも捏ねたらほったらかしだけど、発酵がうまくいく時と、いまいちかな。という時があります。酵母の元気良さや気候、水分量などで変化しまくり。今回はすべてがご機嫌でした。

このまえ友達が「版画だけじゃなくて、作るものぜんぶ作品だね!」というようなことを言ってくれたことがあって、とても嬉しかった。違う方*1にも言葉は違うけれど、そのようなこをと言っていただきました。身体の奥のがポカポカするような、私がやりたいことが伝わっているような*2気持ちになりました。

いまの私は誰かの励ましに生かされているように思うことがあります。そういうこと、ちっとも関係ない!と思ったり、ケッという態度ができるのは、もしかしたら心も体も元気な時、もしくは普通のとき、または少しとんがった時などなのかもしれません。つまりは拒否する、受け入れない力を持っている時。

この頃の私は、生活もままならなくて色んなことが信用できないほどではないけれど、心も体も弱っていると感じることがあります。

そんな時に人と会ったり話したり出かけたり新しい出会いは億劫だけれど、不思議な元気が出ます。きっと色んな人や物事が励ましてくれているのです。踏ん張って行動してみたら、しょんぼり垂れていた頭を上げたい気持ちになる。

 

*1:ギャラリスト

*2:伝える気はないに等しいので、バレてしまっているようなという表現が正しいかも。そーいえば「わかってんだ、バレてないと思ってんだろうけどバレてんだよ!」と言われたことも思い出した。

蟹さん

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菊と蟹の見立て。とっても可愛らしいです。

とっても大好きな人が華甲のお祝い。去年から「わ〜おいわいだ、おいわいだ」と心のなかではしゃいでいました。

60歳といえば、とても印象深い思い出があります。たびたび思い出してはしみじみした気持ちと嬉しいような気持ちになる出来事でした。

振り返ると過去の9月の多くは波乱続きだったように思います。そうなのになんとなくおおらかな、素敵な季節に感じるのは、朝夕が涼しくなったり、敬老の日があるからじゃないかな?と思います。