電車

慣れてない土地に行って、遮断機の音や、なにかしら耳慣れない。もしくは何かありそうな音がしたら、とりあえずそっちに向かって歩きます。

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この時は明らかに電車が通るだろうと思ったので走りました。朝の8時頃。このまえにも違う場所で走りました。歩いていたら追いつけない。ラッキー、ラッキー。

ここ2ヶ月くらい木版を作る困難に直面しました。現在進行形かも。こういうことを易々とやっていたわたしは何だったんだ!とショーゲキを受けどおし。そして繰り言のように「いまは木版画以外のことをしたい、手は動かしたいし何か作りたいけど木版とちゃうねん」と呟いていた。その繰り言に額装の世界はしっくりきて随分と助けられています。

気になっていたドレスコード。さらに「えー!そんな選択があったのか」と思うことがあって、午前中に服を買いに行きました。新調。めっちゃ気合いが入っている状態になっているけれど、楽しみで仕方ないだけ。一緒に行くメンバーもだし、場所も。いろんな建物や景色が見られるのが胸踊る。

このまえ「色んなことが起こるときは、ほんまに色々重なって、なんで?って思うくらい重なる。あんた、まだまだあるで」と不穏な感じのことを言われて、もうええわ〜!けどほどほどにはうまくいかんもんやねぇ。と笑ってしまいました。

ほーんと重なるときは重なるし、それってなかなか終わらないんだけど、その分、いろんな人や物事が心を寄せてくれることでもあると思います*1。わかる形、わからない形でたくさん。そのひとつひとつに満足するほどにはちっとも応えられなくて、受けとるばかりのことになるかもしれない。おそらくなるしなっている。そう思ったとしても、寄せてくれる何かを気持ちよく受けとることが唯一できる応えだと感じます。

*1:現状を知らせているとかいないとか、一切関係ない。相手が事情を知らなくても。私自身がそういう生き方ができたらって憧れる。

半分ずつ

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このまえ湖北に行ったとき、お会いした方に「ほんとは教えたくないんだけどなぁ、うふふ。けどなぁ、本当に素敵な場所で」と(周囲に人もいないのに)コソコソ声で教えてくださった場所へ。お料理はとびきりで、お店の方もとびきりだった。

メニューにはひとつしか書いていなかったけれど、季節のご飯を選べると言われ「う〜ん、どっちも食べたくなりますね。ふふふ」と言いながら選びました。するとお料理が出てきたときに「店長にずいぶん迷われていると伝えると、半分ずつどうぞということです」って。わーい!色のコントラストも美しければ、味も雑味がなくて素材の味がしっかりしていて思わずバクバク食べたくなりました。けれど気を取りなおして味わったのでした。奥にある天ぷらも、その奥にある新そばも口に入れたとたん。噛み締める。どのときも美味しい。「からだ、元気になるよ」と食べ物が主張しているようだった。

土地のこと*1や、地元で採れたものばかりを使っておられること、近くに養鶏所があることなど時折伺いながらいただいたのだけれど、さいごは店長からのサービスですとデザートまで出してくださった。うーん、恐縮。けれど美味しくいただきまーす。

お店を出るとき、店長さんが出ていらして美味しかったこととお礼を述べると、気さくになんでも教えてくださる方で、食材も料理も人が喜ぶことも大好きなんだと伝わってきました。作ることと人柄が直結した気持ちの良い人。このお店のために湖北に行きたいくらい大好きになりました。たしかに教えたくないんだけど、うう〜、教えたい!という気持ちがわかる。

むかし、まだ10代前後や前半の頃。私はお地蔵さまのような時期がありました。やたら気軽にお供えされるというか。ひとりで神社やお寺なんかに行くと*2知らない方に非常に親切にされたものです。電車賃さえ持っていたら(もしかしたら持っていなくても)お腹をすかせずに1日を楽しく終えることができました。そしてその行為を私はあたりまえのように受け取っていたものです。

だんだんとお地蔵さま状態は去っていったけれど、ちっとも去らない人が身近にいた。それは祖母。人に与えることも大好きだったけれど、なぜかいろんなお店で驚くようなもてなしを受ける人でした。

それははじめてのお店、慣れたお店、一切関係ありません。ほかの人と何が違うんだろうと思って観察していたけれど、ちっともわからなかったのも不思議です。お喋りでもなかったし、気の利いたことも言わなければ、口に合わないものはそうだとハッキリ言っていた。マナーだって身につけていません。どちらかと言えば外出先ではムスッとした感じでもありました。そうなのにお店の方にふんだんに愛されていました。理由をお店の方に伺っても、おそらくご本人たちもわからないような感じでした。思わずしたくなったという雰囲気だったのです。祖母以外はみんな狐につままれたような気分だったかもしれない。

こういうのを愛嬌って言うんでしょうか、わからない。愛嬌ってなんでしょう。考えれば考えるほどわかりません。お地蔵さまは子どもの味方だけれど、お地蔵にも愛嬌があるのでしょうか。

*1:舗装されるまえの昔の道がどのようになっていたか。すごく面白い。

*2:御朱印ブームとかちっともなかったというのもあって

ふんわり

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ふんわり低空飛行をしているなにか。雲だけれど。愛嬌がある。

きょうは朝から所用。時間内に、がんばって考えて話さないといけないことだったので緊張というかハラハラしていました。全部解決したわけではないけれど、見通しを立てることができて(ひとまず)ホッとしました。

ほかにも心配事があって、それもさっき解決。めっちゃホッとしました。心配事はドレスコード。はじめは「自分なりにちゃんとしていると思ったら、それでいい」と思っていたけれど、ここ2、3日で「いや。今回は自分なりの誠意ではなくて、迎えてくれる側がアウトと思ったらアウト。しかも私は迎え入れてほしいと思っている。こ、こ、こ、こ、これは大変だ。ハードルが高すぎる」なんて思って憂鬱になりました。そして考えに考えた末、過去の出来事も思い出して「これなら大丈夫だろう」と導き出した服装は「……え?それ、どーなの???」と感じずにはいられない内容。混乱というか、単純に難しいと思いました。

けれどついさっき解決した。導き出した答えはおおよそ正解だった。相手のことを考えるとか、価値観を理解したりしようとすることは、とてもとても難しい。つい自分の都合の良いように考えようとしたり。私のこころが邪魔になることなんだと思うときがある。