おとなり

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きのうアップした花壇のとなりの花壇。落ち葉がよいです。

慌ただしい1日でした。そして充実していました。胸がすっきりすることもあった。『わたしはそれを望んでいるのか、いないのか。わからない』とモヤモヤしていた気持ちが晴れ渡るようなこともありました。頭では望んでいないと考えているけれど、もしかしたらそうじゃないかもしれない。何故なら私は信用ならないから。自分のことを信用できないヤツだぞ、と思っているから。それがあることがあって「どちらの道でも受け入れたんだろーけど、心の底のほうでは望んでなかったんだな。」と感じる決定的瞬間がありました。そのあと、いやいや条件だとか内容によっては、ここまですっきりしてなかったかもしれないぞ……風呂敷を広げると(おそらく)私が理想とするようなすっきりが待っていたのです。私はそれを望んでいなかった、しかもとても嬉しい。ということだけが残った。ラッキー。

せんせーによく「おまえのやってることは下品だ、下品。周りのやつはわかってない!」と言われます。まったくもって全面的に同意。その通り。私自身が誰よりも認めているんじゃないかと思っています。下品だ!と指摘したせんせーはエライよ!褒めてつかわす〜です。

そこからどうやっていくかが目下おおきな課題。去年から少しか長くかわからないけれど、しんどい思いをしてやってみようと思いはじめています。ちょっと怖くて、ときどきゾーッとします。けれど、せっかくなんだからしんどい思いも怖い思いもゾーッとする思いとも付き合ってみたら、まえにも増して下品な方に行ってしまうのか、思ってもみなかったところに行くのか、やってみたいです。より下品になりまくったらそれはそれで面白いけど…それは、できれば、私じゃない人であってほしい。

そして素晴らしい作家を教えてもらいました。調べても作品は少ししか観ることができなかったけれど目を奪われました。あ〜、いままで好きだった作家の作品が霞むよう。自分の感想にウソはつけない。

なんだろう、何が違うんでしょう。難しいなぁ。何かへの向き合い方なのか、自身の見つめ方なのか。いいとかわるいとかではなくて、圧倒的に違うというのだけが瞬時にわかるって何だろうなと思います。そこが美術の面白いところ。