ねじばな

ピンボケねじばな。信号待ちのときに見つけました。梅雨っぽくない毎日なので、ねじばなのこをと忘れていた!!そうそう、ねじばなの時期なんですね。ねじばなを見つけると、毎年、毎年、飽きもせず、まえに住んでいた家の庭を思い出す。この時期になるとねじばなでいっぱいになり、雨が降ると一晩でニョキニョキ生長していました。懐かしい。
きょうは色んな場面でドキドキしました。とくに昼以降。そしてドッと疲れたのだった。水の入った田土(田んぼの土)になった気分です。栄養もいっぱいあるし、肌触りもいいけれど、とっても重い田んぼの土。疲れにも様々な状態があるもだ。
夜、眠るまえに寝転びながら本を読んだのだけれど*1、内容の一部分にハッとしました。最近読んでいた本の書評です。
書評対象になっている作品は、内容だけではなく描かれ方(表現の仕方)も興味深く面白く素晴らしいものだったのだけれど、個人的には何度考えても納得できない構造でした。簡単に書くと「この物語は2つの物語で、その2つには接点がないのに無理やり1つの作品にしているように思える*2。」と考えたのです。書評を読んで、その部分が解消されたわけではなかったけれど*3、ハッとしたのは私が「片方の物語」と認識し、その「片方の物語」の根底を支えているであろう箇所についての指摘です。指摘の内容自体*4より、展開の仕方、言葉の選び方にハッとしたのでした。
そこに使われていた言葉自体が「この作品はすばらしいのだ」というのを表現し、また作品や作者を表現するために用意されたような、ぴったりな言葉に感じたのです。海のむこうの遠くの遠くで、なにかが光っているのを見たような気持ちになりました。静かで、どこか懐かしくて、けれどもはじめて見るような。
いい書評・批評・評論だったり、その中でハッとするような、スカッとするような。力のあるものとの出会いは素敵な気持ちになります。全体の一部分だったとしても。

*1:この頃は寝転ぶとすぐ眠るので、本は座って読んでいます。

*2:これから先、私の感想が変わる可能性はあるけれども。

*3:むしろ、よけいに消化不良。この点に関しては脇の甘い書評だと感じた。

*4:その指摘は批評家なら(おそらく)当然出てよい内容だと思います。