ぶるぶる

出かけたときは暖かかったのに、帰りはブルブル……。
もうすこししたらブログでもお知らせしようと考えているのだけど、そのための打合せに大阪へ。いまは頭のなかでグルグルイメージがうずまいています。さて、どうしよう。ワクワクドキドキ。思いっきりたのしく遊ぼうとおもう。
そして打合せのあと、ちかちゃんとお茶*1。「ねぇねぇ、きょうは新年やって知ってる?」「旧正月の新年やね。このまえ元町を通ったときに華やかになってきてた」…なんて言いながら「おめでとー」とワイン&紅茶で乾杯。
我が家は毎年干支の切り絵を飾るのだけれど、そういうのやお守りなんかは旧正月にあわせてかえているのでした。
ちかちゃんとはヴァイオリニストの中島慎子さん
一番最近だと先週の土曜日にリサイタルをされました。その演奏の一部をYouTubeにアップしています…YouTube☆いままでの彼女だったら☆ぜーーーーったいに☆しなかったよねぇ…という行動?聴く側としては素直に嬉しい。大ニュースです。そのYouTubeの画像には私の版画作品を使ってくださって*2います。
じつはとっても面白い偶然があって。こういうのを「なぜか伝わる」というのかもしれないけれど…中島さんは「YouTubeに演奏をアップしよう」と思って「画像かぁ…」と考えたときに、私の木版画作品が出てきたのだそうです。それはとても光栄なことだと感じると同時に「ふぅぅぅん。おもしろい。」でした。というのも、彼女が頭に浮かんだ木版画には(私のなかで)対になっているものがあるのだけれど、この2点は生まれてはじめて音楽を非常に意識して制作した木版画作品でした。もっと正確に書くと今のところ音楽を意識して制作した木版画作品は、その2点だけ。すっごく不思議なのと同時に「やっぱりね」みたいな気持ちもありました。根っこ、深いところ、遠いところ??どう書けばいいのかわかんないけど、手と手を繋いでいるような「やあやあ」と挨拶しているような。
私が意識した音楽は、これ!という曲ではないのだけれども、哀しくて、美しくて、幸せ(や何かへの愛)に溢れていて、ひとつの楽器が奏でるもの。でした。小さな花がどこかからコロコロッと、いつまでもいつまでも転げでて、気づかない間にスッと消えてゆきそうな。孤独だけれど満たされているというか。
制作時のことを少し書くと、私にとってもっとも大切な「摺る」ときは一切の音楽を聴きません。耳に入らないというのもあるし、いったん耳に入ると止まってしまうというのもあるし…つまり私の版画と音楽は遠いのです。少なくとも遠いと感じています。
けれど、その2点は自分から歩み寄って行ったし、制作する上で絶対的に必要だったのだし、作った本人としては(ほかのものとは比べられない程)音楽的な作品になったとも感じています。
そして先週のリサイタル。1曲目に一番心が震え、同時に一番絵画的だとも感じました*3。いまから思うと絵画的なのではなくて「根っこ*4」に近いんだと考え直しています。根っこってなんだ?と言われたら、そりゃ、もう、「一生かかって説明させてください」なんだけれどもさ……。
考え続けたり、そこに行こうともがくのは、怖くてもやっぱり楽しくて幸せなことなのだと思います。一日でも長く続けられるといいな。
写真はうちのメダカ水槽に遊びにくるメジロ(を隠し撮り&拡大)。水槽に体を沈めて水浴び中。毎日10時頃にやってきます☆☆

*1:ちかちゃんご飯。私お茶

*2:本人の演奏風景を載せるのは、まだちょっと先かな。

*3:YouTubeで聴くと一番伝わりづらくなっているのが、残念でもあり「そらそうやろな」とも思うのでした。けれど、やっぱりいい。

*4:私は「例えていえば「風の谷のナウシカ」に出てくる、様々なものと森の人がさ…」なんて言いながら、傍目には「わかんねーよ」「なんじゃそら?」と思われてるかも?そんなことないよね?ドキドキ。みたいなことを話しています。