大声で独り言

なかなか進みませぬ。彫るのも摺るのも。「気が散る」ってことがあるんだなという気持ち。集中できないというよりは、その前段階の問題でそもそもが散漫である*1
出先で「英語で独り言(大声。場所☆トイレ)を言う人」の話を聞いて感心しました。頭の中では英語で考えてるんでしょーね。そうみたい。じゃないとおかしいですよねぇ。でも大声で独り言っていうのが一番おもしろい。私も大声で独り言を話しているとき、あると思う。日本語だけれども。
話題に上がった人が英語に興味を持ったのは高校生のときで、素敵な英語教師(アメリカ人)との出会いだったのだそうです。教育も出会いも場合によっては人の道をつくることがあるのです。
このまえ美容師さんが「一生のなかで誰もが必ずなんらかの形で子どもと接する機会がくる。って僕の母親*2が言ってて、そうやなぁと思うときがあります。」と仰っていて、その説は大変興味深く静かに私の心を打ちました。
私が子どもだったころ。振返るとその後の生き方を決めたこと。私自身が「あの人との出会いがあったから今の私がある」と記憶していること、やっぱりあります。色濃いものもあれば淡いものまで。
大人になっても相変わらずありますけれどね☆

*1:ある。とかエラソーに書いてみたけれど、たいした内容じゃあないです。

*2:そのお母さまは「子どもが嫌い」と我が子(美容師さん)をおばあちゃんに任せっきりで子育てをされなかったそうなのです。大げさに言っているのかもしれないけれど、子どもの目からはそう見えて育ったのでしょうね。そのお母さまは今、すこし子どもに関わるお仕事をされておられるのだとか。