豊助

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名物にうまいものあり。豊助饅頭。

気持ちのよい秋空の1日でした。けれど朝の目覚めはつらかった。スッキリ起きはしたけれど悲しかった。

時々とても悲しい夢を見ることがあって、きょうもそうでした。バリエーションは色々あるけれど夢の核になっている部分はブレていない。悲しいのと一緒に、私が小さいときに抱えていた心細さのようなものもはらんでいるような気がします。それがまた悲しい。

以前「こんな夢を見ることができてよかった。夢のなかだったとしてもこの経験ができてよかった」と幸せに思ったこともありました。

悲しい夢も、幸せを感じた夢も、起きたときに泣いていました。そしてしばらく夢なのか現実なのかわからなくて、なんども噛み締めて夢だったと受け入れていきました。

他はまったく同じなのに、悲しいと幸せの違いはどこにあるのでしょう。時間が経てば経つほど、どちらにもどちらもを含んでいるような気がしてなりません。たまたま表面に出たことが悲しいとか幸せだったというだけのような気がします。その根底には怒りもあるような感じもします。

 

やってくる

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このまえ見た風景。秋が足音をたててやってきているようです。向こうの稲穂が黄色い。少し上から見下ろすような角度。

朝から摺りました。ここのところ、やってみたいことがあって、その一歩です。目をショボショボさせながら何度も彫って何度も摺りました。このまえ近松さんに「こういうの、作ることができたら最高やと思うねん。そういうの作ってみたい。」とボソボソ話していて、それに向かって色々考えたり、アプローチを変えたりしていますが、毎度毎度なにかに当たっては「うーん」となっている気がします。その都度、木版画の可能性も考えるような感じがします。

 

秋色

まえに焼いた、かぼちゃパン。

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お月見ができるような、おおきくて丸いのをドーンと焼いたので、まだ食べています。軽く焼いてバターを塗って。日に日に美味しくなるような気がします、けれどもこのパンは焼きたても美味しかった。

今年は栗もくるみもたっぷりゲットして、いろいろ作ることができたらなぁ。頭の中にあって、絵もつくって、版木にまでトレースした木版も進めたい。

電車で移動中に本を読んでいたのだけれど、しおりがわりに(つい30分ほどまえにゲットしていた)映画のチラシを挟んでいました。公開を待っている映画で、とうとう間近になっってきたな…と考えていると急に胸がいっぱいになりました。

まるで本を読んで感極まっているかのようだったかもしれませんが、本とはまったく関係のない話です。けれどもその本も胸がいっぱいになる内容ではあったのと同時*1に、胸がいっぱいになる理由も同じ線状にあったように感じます。

 

*1:ある作家の作品群について書かれたもの。