きのうの富士山。山頂だけが浮き島のように見えて美しかった。けれどあのキレイな霞は私の目も鼻もダラダラにさせるのだ。手塚治虫先生のブラックジャックに美しい景色だけれど悲しいシーンがあったと思う。
きょうは朝からしっかりご飯を食べて、午前中は書類を見たり、話を聞いたり、報告をしたりと働きました。とても緊張したけれど出ることができてよかったと思いました。
大急ぎでワシワシお昼を食べて、大急ぎで移動して真面目に作品を観ていろんな方の話を聞いた*1。とっても勉強になりました。今回のことを活かせたらいいんだけど、なかなかね。場数も必要だろうから。
そんななか懐かしい方達と再会したり色々。誰かの熱心さに心打たれたり。ジーンとしてしまう。6年前のことを思い出します。私は誰も知らなくて、ひとりポツンとしていた。周囲の人は挨拶をしあったり、集まったり、とてもとても楽しそうに盛り上がっているように見えました。
心細いな…と感じてボーッと立ったままだったりウロウロ目的もなく徘徊していたと思う。けれど受付の方が話しかけてくださったり、「せっかくここまで来たんだから頑張らないと!」と自分で自分を励まして、オズオズと知らない人*2に話しかけたりしたものです。夜までずっとポツンとして、その孤独感は私の好きな孤独とは違って少し怖くて「こういうのはイヤだな」と思いました。
どうしようどうしようと思いながらトボトボして、けれど使命?を受けていた*3ので、なにかあるたびに踏ん張ってみたんだった。その後そういう場面に出くわすことが多くなり、いまでは鈍感なこころになって別段たいしたことではなくなったし、楽しみポイントがあることを見つけました。さらには「あのとき僕もひとりで淋しかった」という話を耳にして、そういうことってあるんだねぇ…同じ空間でひとりぼっちだった人はいたんだねぇ。と今もあの時の淋しさについて話します。もう遅い時間になってから私に気づいて声をかけてくださった方がいたんです、いまでもその人の背中には羽が生えているように見えます。
6年経ったいま、あのとき「とてもとても楽しそう」にしていた人に私はなっているんだろうか。それを心細い気持ちで眺めている人はいたんだろうか。その人は誰かに手を差し伸べてもらえたんだろうか。
そーいえば、ある時「おまえはいっつも素知らぬ顔で一人でいて、それがいいな。」と言われたことがありました。心細い時はこの言葉を思い出すと大丈夫な気持ちになる。
夜まで賑やかな場にいて私はなんとなくボーッとして、相変わらず誰に対してもまともな挨拶もできませんでした。もうちょっとマシにできたらなぁ〜!とか思い続けながら、いつかできないまま死ぬような気がする。
いい1日でした。書けば書くほど、どれだけいい1日だったかが遠のくので、さきざきに違う形で書きたいです。