足跡

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このまえの雪の日。足跡はあの子なんでしょうか。姿はみかけなかった。

からだのお稽古の日。家でも毎日頑張っているつもりだけど*1、体の癖や懲はすべては解消されず。きっとやり方が悪いときもある。そして時間が足りないよう。1日は24時間だから限界があるなぁと感じる、ここ1年。

先月だったか11月だったかに考えてもいなかったこと、考えるはずもないことを指摘され思わず「……??………ふぅん…」となってしまった。

帰宅後、言われた言葉を繰り返し噛み締める。その言葉を聞かせたい人が思い浮かび、その中には小さな私も含まれている。もう記憶のなかにしかいない人たち。

同じからだの先生にお世話人なっている友達が「気持ちに蓋をするのが上手になるだけで、かなしみは消えないと思う。」と手紙をくれたことを思い出す。それは記憶の中にしかいない人やものについてのことについて書いた言葉だった。友達の言葉はその時も今も「同じく」と思っている。

この頃、記憶の中にしかいなくなった人やものたちが夢に出てきて、それは私が「そうだったらいいな」と思う姿であることが多いように感じる。とても嬉しい。寝覚めも良好。また夢で会えたらいいのに。

たとえば介護や療養の期間が長かったり、受け入れられないようなツライ別れをすると、なかなかそうなってはくれないこともある。それはリアルな出来事を忘れないでいることを考えると大切なことかもしれないけれど、懐かしさや嬉しさ励ましとは手を取りにくい。不思議なくらい「そうだったらいいな」で登場してくれることもあれば、不思議なくらい「そうだったらいいな」で登場してくれないこともある。そもそも登場すらしないことも多々ある。突然の別れを通し元気な姿しか出てこないというのも、つらくかなしい出来事なのだと感じる。

 

こうだからこうですとわかりやすく腑に落ちることはなく「蓋をするのが上手になるだけで、かなしみは消えないと思う。」に繋がっているように思う。

きょうはネットを通じてワクワクするお願いをした。やりとりのすべてがビューティフル。

 

 

*1:朝起きたら何も考えずにやる、ただそれだけ。作業をし終わった後も一緒。何も考えずにやる、これが私には大切。