四半世紀

作品の扱いについて聞きたいことがあって知り合いにメール。用件だけのつもりが、なんとなく彼女ならと思って最後に「…四半世紀経ったねぇ…」と送りました。返信の冒頭に「四半世紀経ちましたなぁ…」と書いてあって、あとは用件の話で「えー!」「そうなん?」「思考になかった」「覚えてないww」「聞いてみるわ」と何度かやりとり。

あさトートツに「そうか、あの日の弟のお弁当のおかずのひとつはシュウマイ(のはず)だったんだ!」と気づきました。気づいてしまうと、今まで気づかなかったのが不思議だけれど、きっといつも考える分かれ道で右じゃなくて左い行っていたんだと思います。お弁当は右の道にあったんでしょう。

あす作る巻き寿司の最終の買出しに行きながら「あの時は17日に買出しに行くことなんてなかった。16日までに全部全部今よりもずっと大量に何十倍も準備を済ませて、どんこなんかはすでに出来上がっていたはず。そうじゃないと作りきれない」と思い、昔の風景を思い出しながら歩き、なかには一所懸命思い出さないといけない場所も、思い出したとたん胸がいっぱいになる場所もありました。ここは通ることができないと思うところは慎重に避けて色んな道を歩いたのでした。

帰宅してご飯を食べながら作業のことを考えたり、ぼんやりテレビを見ていると「私の場合は震災のことに蓋をして生きてきたようでした」というようなことを話しておられる30代後半の方が映っていました。その言葉の選び方に心打たれた。おそらく何度も考えて、ピッタリとこないまでも自分の中のものを言葉にしようと努力されてきたのでしょう。わたしもこのひととおなじかもしれないな…と思うような言葉にも感じました。

夕方には相撲を見て、とくに今年に入って照強が背負っている背負った気持ちに、ある俳優のことを思い*1ました。

Facebookの知り合いが今日が自分の誕生日で当時は20歳だった。大人になってからの誕生日は手を合わすことから1日が始まる…こういう日だから、人としてどう生きたらいいのか考えてしまう…そのあとはしみじみと何度も頷いてしまう生きるということについて書いておられました。人としてどう生きたらいいのかずっとずっと考えて生きてきたのだろうという、そしてユニークな生き方をしておられる人で深い納得を感じて、彼の優しさや厳しさ生き方に救われる気持ちになります。わたしもそんな人になりたい。

 

巻き寿司の具の準備は惨憺たるものになった。咳風邪のせいなのか、ぼんやりしていたからなのかわからない。けれども煮過ぎたり味が(なんとなく)決まらなかったり。途中からは「巻き寿司っていうのは総合的なものだから、食べるときに味付けにメリハリが出ていればいいだけの話。どんこしいたけと卵の味付けが決まっていればよい(メリハリよ出ておくれ)」と思うことに。

実家の面々が「うーん、これどうやろ」「なんかもむない*2」と毎年毎年言っているのを、このつぶやき年中行事!と感じつつ、つまらないと感じていたことを思い出します。どうしてそんなにお客様に対して*3なんとなく捻れたような気を使わないといけないのかと思うとバカバカしかったです。

けれど自分がするようになって思うことは、もっと純粋な「美味しいものを作りたい」という気持ちが根っこにはあって、そう言わせていたんだろうということです。なんせとくに祖母は食いしん坊で美味しいものを作ることも食べることも大好きでしたから。ほかの料理でも「この味どうやろ」「おいしい」とよく言っていました。そしてそこにちょっぴり「よそゆき」の気持ちが入っていただけ。その「よそゆき」を私が敏感にイヤなこととして激しく感じ取っていたのでしょう。

咳はあいかわらず止まらず、忘れている作業があったことが見つかり夜に大慌て。けれども着々と出来つつあります。

 

*1:その方は3月11日が誕生日なのだそうです。その俳優はある舞台挨拶で自分の誕生日の話をして泣いていた。

*2:美味しくない

*3:もてなし。というよりは、悪く言われないための気遣いを強烈に感じていたのだと思います。本当はどうだったかわかりません。直接聞いても回答は得られなかったでしょう。