赤飯まんじゅう

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毎年たのしみにしている赤飯まんじゅう。12日に買いに行ったら売切れ。ガーン、予約をして13日に受取ってきました。ふかして食べるのと、そのまま食べるのと。お赤飯はそのままで、皮だけ温かいの…1度でいいから食べたいんだけど、さすがにそれはムリー。なんてブツブツ言いながらいただく。

お赤飯といえば、母方の祖母のお赤飯。毎年10月10日にお赤飯のお弁当を作っていました。高野豆腐、ねじりこんにゃく、ちくわの炊いたのと黄色いたくあんがゴロッと2切れ*1入っていました。高野豆腐はひし形。お弁当のほとんどはお赤飯。仕出し用のエンジのお弁当容器を使っていました。

私はお赤飯もお米も好きではなかったし、祖母と親しかったり懐いていたという記憶もありませんが、10月10日のお弁当だけはとても楽しみにしていた*2。どこかにお弁当を受取りに行く、考えるだけで今も気持ちが弾みます。

祖母のお赤飯はとても色が美しかったです。あんなにツヤっとして深い色のお赤飯をどうやって蒸すんだろうと思っていました。もち米なので前日かそれより前から準備がはじまり…どこかの段階でしゃもじをもち米か小豆か出来上がりのときに立てていた?と聞いたことがあり、それはどういうまじないだったんだろう……と面白く聞いたことがあるけれど「それで色がつくわけじゃあないだろう」と思っていました。それが数年前にある冊子を読んで見事解決しました。あのお弁当を食べなくなって長い時が経ちましたが、俄然思い出の再現に向けて作る気になる出来事になりました。

写真では伝わりきれないけれど、赤飯まんじゅうのお赤飯の色ツヤも大変美しくハレの日に似合います。

きょうは赤ちゃんを眺めたり、いろいろ。帰宅がとても遅くなったけれど良い日で、これらが先に続けばいいと思います。

午前中に摺った版画は「あ〜……うーん」というのがあったけれど、全体的にはいい感じ。

 

*1:たくあんは祖母がこさえたものではなく、買ったものだったでしょう。普段は父方の祖母が仕込んだすっぱいたくあんを食べ、その味が大好きでしたが、「赤飯弁当だけは黄色いあんまりすっぱくない厚切りのたくあんやんな!」と密かに思っていました。

*2:ものすごい数を作っていて、取りに行くとズラーっと積み重なっていたのも印象深いです。父方母方どちらの家(とくに父方)も大勢を招く家だったのだと、今になって気づきます。当時はそれが当たり前だったので、そういうものだと思っていたのでした。