百葉箱

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百葉箱…けっこう見かけます。え?こんなところに?という場所でも遭遇します。駅構内とか。

「ひゃくようばこ」という言い方、いまだに馴染めません。なんとなくシックリこない感じ。けれど見れば「あ、百葉箱」と思うのだから納得できないと感じつつも頭には確実にインプットされているし、他の呼び方もしてないです(独自の呼び方をしたら伝わらないしなぁ)。

ちょうどケータイを眺めているときにケータイが鳴りました。しかも「わぁ。久しぶりだ!」と嬉しくなるような方から。素晴らしい摺りをされる方で、色んな場所に一緒に版画を観に行って、たくさん版画の話をした方です。私がバタバタしだして一緒に出かけられなくなったけれど、お会いしたら元気で版画の話をして…と大好きな人。

私はちょうど摺っている最中だったのだけれど、どうしたの?どうしたの?と出ると、ビックリ戸惑うような、話を伺っていて身の引き締まるような、けれども悲しくなるような話でした。そして私を思い出してくださったことに感謝。

腕や手首、肩を傷めて長患いをされていました。ひとつの原因なのかもしれないけれど、大きなウエイトをしめる形で木版画制作、とくに摺りが影響していたはずです。ですのでお互いにとって摺りの話をするのは楽しいことでもあり、辛いことでもあります。

少しずつ良くなったり、なんとなく不調だったりを繰り返して、いまは気持ちも含めお元気になったと話しておられ嬉しかったけれど、悲しかった。もう木版画はされない(できない)のだそうです。

いままでに何度も*1そう仰っていて、時々で色んな話をたくさんしたけれど、今回は「とうとうそう決めたんだな…」とわかって、悲しかったです。ご本人は晴れやかで実際にそうなのだと思う。その晴れやかさに行き着くまでのことを考えると、悲しくてなりませんでした。

「あのね、いまわたし摺ってたんです、まだ終わってない」「「わ〜続きやって!ごめんごめん」「摺るのと同じくらい、話せてよかった」「わ〜嬉しい!」「夏のはじめに会っていっぱい話しましょう」「うんうん」と言い合い電話を切る。そうしないと何時間でも長話ししてたと思う。会えば絶対に楽しい時間を過ごすんだろうけれど、それまでもそれから先も私は何度も何度も悲しくなると思います。けれども沢山の喜びのある悲しみでもあるから…なんて考える。

う〜ん、それでも悲しいものは悲しい。

*1:とくに体の調子が悪い頃には