バレンのなかみ

バレンの中身です。左はナイロンなのかな?そういうのを使っていて、右は竹の皮を編み込んだもの。友達に竹皮の張り替えをお願いした*1ので、丸裸状態です。どちらも潰し用の編み目の荒いものです。奥のバレンは細かい細かい編みで、眺めているだけでため息が出ます。

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私はバレンはけっこう持っている方*2で、僥倖以外のなにものでもないのだけれど、いただいたものがとても多いです。どれもこれも宝物。

清水の舞台から飛び降りるつもりで購入したものもあります。飛び方は念入りで多くの人に相談し、私の求めているものや、私の体格や力に合ったものなどを考慮して…吟味に吟味を重ね、頭がぼや〜っとするほど考えて、注文するまでに2年ほど迷って*3手元に届くまでにも1年半ほどかかった記憶があります。

さらに書くと「入手するぞ」と決めてからが物凄く長かった。入手を決めてから一人で悶々と長い時間考えて、ようやく周囲に相談しはじめて、上記のはじまりです。自分*4に合うか合わないか、どういうものが欲しいのかで散々迷っていたのだと思います。その考えていた時間は、私はどういうものが作りたいのか。どんな摺りをしてみたいのか。について考えることになりました。いい時間だったと思います。

けれどスマートフォンを修理にだしながら何年も使いまくって、いいかげん機種変更をする(そしてそれを繰返す)。ことに比べたら、バレンは「私の使い方だったら一生もので、誰かに譲ることもできるよ」という道具なので、そんなに熟考に熟考を重ねることが必要だったのかな?とも思ったりもするのでした。

先週、東京に行ったときにバレンの話になって「…そのバレン、やっぱり欲しいな」という気持ちがムラムラ。10年以上「どうしよっかなぁ、私には向いてないんじゃないかなぁ」と思ったり、持っている人に使わせていただいて「やっぱ向いてないわ」と思ったり、ずーっと「私には向いてないわ。」と結論づけつつ気になる存在。

あと、もし手に入れることができるんだったら、是が非でも手に入れたいバレンがあるのだけれど、これはきっと無理。夢のまた夢。

数年前に「ねぇねぇ、むかわさん。このバレン持ってる?」と耳元でボソボソ囁かれたことがありました。「持ってるわけないでしょ〜。どうしてですか?」「ふふふ、僕、持ってんねん」「………ほんまに?めっちゃ羨ましい。ほんまに?めっちゃエエやん。いや、めっちゃイイですやん(敬語)」「ふふふ、ええやろ。羨ましいやろ」「………ただの自慢ですね……」「そう。ただの自慢。むかわさんやったら飛びつく話やと思ったから、してみてん。ふふふ。ええやろ〜」ということがありました。いい思い出。

竹皮の張り替えをお願いした友達に、手製のバレンをいただいたこともあります。私の手元にはどれくらいバレンが集まってきて、一生かけてどれくらい使いこなすことができるんだろう。それを考えると一向に摺りに飽きることはないのでした。

 

*1:泣きついたんです。

*2:だと思う

*3:しかも合間合間に相談し続けた。

*4:とくに体格だとか摺りたいもの