きのうから凹版の準備をはじめました。ヤスリをかけて丁寧に。凸版(いつもの)版画制作のときにはヤスリをかけたり、かけなかったりです。
凹版制作は今までの私の主張を考えると、「今回からはもう作らない、やめた。凹版制作の一切をやめる。」となるはずでした。ジロー会いたさに凹版を頑張っていました。それしか制作理由も動機もありません。ジローに会えないならやめ。
ジローというのは先生の愛犬です。ラブラドールで赤鼻で、頭のてっぺんから首筋、背中にかけて白くて「ちょっとゴワッ」とした毛並みが特徴の大きな男の子。偶然にもジローが生まれた年に私は木版画と先生に出会いました。
先生のお宅では年に1度、プレス機を使って刷る凹版作りに伺っています。ジローに会えるチャンスは年に1度☆凹版の日。ジロー会いたさに私は頑張りまくりました。けれどもちっとも好きにもならない、楽しみも見つけることができなかった凹版*1。いつの頃からか「わたしの凹版制作はジローの命が尽きるのと同時に尽きる」と言うようになるほど、凹版は私にとって辛いものでしかなかったのでした。そしてその凹版の辛さ以上にジローが好きだったので、つらいつらいと言いながら凹版を作っていました。
先生のお宅に行っても1、2枚刷って「つくった版自体が悪いから、もう刷りたくない。もうおわり」とかブツブツ言ってジローと遊んでいました。
ジローは昨年の冬のはじまりに、私たちよりちょっと早くさよならしました。個展期間中に伺って*2、「……凹版、ジローがいなくなったらつくる理由はなくなるけど、またつくります」とボソボソブツブツ。
2年ほどまえから「もしかしたら、凹版を続けられるかも」という予感がしました。ジローが会うたびにおじいちゃんになって、思う存分遊びまくるよりも「ちょっと挨拶をして、あとは寝とくね」となってから、私は凹版をまじめに刷るようになっていたのかもしれません。凹版でやりたいことを見つけ出して、ようやく手応えのカケラを感じつつ試作をするようになってきたのかもしれません。
きっと、すべてジローのおかげ。15年近く面白さを見つけられなかった私をジローが助けてくれて、ジローと会えなくなっても「もうちょっと続けてつくってみよう」と思わせてくれました。
版木の用意をしながらジローを感じています。いいのが作ることができたらいいな!