わたし、あほ

きょうのアホな私。「金沢に行くんだっけ?」と質問されて「(七尾って伝わらないかもだから…)ちゃうで、石川県」とこたえたのですが、言ったそばから…『わたしアホなこと言ったな』と思いつつスルー。金沢市は石川県なのにね!!行くのは七尾市*1です☆
あさ起きたら「ちょうおつかれっぽい」感じだったのだけれど、きょうでないといけない用事がいくつかあったので雨装備をして外へ。ギリギリセーフ!(もしくはちょっと遅れ)で、ワタワタ移動〜お喋り(鑑賞&聴講など)繰返しコース満喫。神戸方面の用事を一辺に済ませようと考えて、まとめてみたらワタワタコースになってしまっていました。しかも遂行できないのがあった、がーん!!
「また10日後に会いましょうね、そのときゆっくり」という挨拶もあれば、ひさびさだったのにもかかわらず全然話せずもあり。うーん。結局誰ともゆっくり話せなかったんだ。短時間でもじっくり話せたことはあったけれど………ゆっくり話したかったな。そして、それができないときは自分も相手もジワジワフツフツ元気*2になるような話をしなきゃね、と思ったのでした。
誰か。何か。などに向けて話す。伝える。ことについては常に考えていることだけれど、きょうもきょうとて。これに関してはもっともっと多くの人の考えを聞いてみたかったな。
私個人のことを書くと、自覚する範囲では、滑舌が悪く、さらにはこもるような喋り方をし、語尾を間延びさせるクセなどがあるので、よっぽど打ち解けた場面以外はハキハキと、大きな声で、言いだしや語尾に気をつける*3、こもってしまうのは努力が届かないのでスルー。なんてことを気をつけているのだけれど……それらは技術的なことに偏るように感じています。何をどう伝えたいか。を鍛えることはできるのでしょうか。
語彙の豊かさ?伝えたい内容が明確であること?熱意?あった方がいいだろうけれど(熱意はいらんかも)、それらは絶対に必要なことなのかな……。私はいつも「必要だったらいいな」とは感じるけれど、あくまで希望の話で……ほんとうはちょっと違うんじゃないか、「なんとなく、そこじゃない気がする」と感じたりしています。
よく言われることは、慣れ。場数。…うーん……私がやっている版画も染めも場数というのはとってもとっても大切な要素で、技術を上げるためには必要*4だと思うのだけれど、やっぱりそれは技術に重点が置かれている。
さらに書くと慣れることや場数をこなすことが引寄せる弊害というのもあって、それはかなり注意し常に戒めておいた方がいいたぐいのものだと感じたりもします。技術の向上が肝心な部分をかき消してしまうっていうこと……いっぱいある*5ものね。
面白さというか、楽しさ、楽しげ?は必要なんだろうな……と、この頃は思っています。パーッと明るいとか、前向きだとかではなくて、ひとりの人がこんなに深く魅了される世界があって、積もり積もって人に伝えたいまでになってしまっているのかぁ*6。あはは。と思わず感心してしまうような。そういう空気。
写真はコーヒー豆をネット購入したら…こんなオマケが。クッション材のかわりだと思うのだけれども……オマケ多すぎ&チョイスすごすぎ☆けれどコーヒーに対する気持ちはヒシヒシと伝わってくるお店なのです。

*1:氷見にも寄りたい気持ち満載。

*2:カラ元気とか、無理して明るくはいらない。

*3:あ〜とか、う〜とか言うなら黙るなど。

*4:やみくもな場数ではなく、自分が求めている場数

*5:ペラペラした言葉たくみなだけな話はいらないよ。って思うシーンはけっこう遭遇します。慣れて緊張が薄まることで人に伝わりやすい話し方をできるようになればいいけれど、緊張が薄まることで鈍感になってペラペラになってゆく場合が多いんじゃないかな。

*6:+論理的であったほしいですね。