2日目

初日に駆けつけてくれた、あべひ*1の日記。
嬉しい。本当に嬉しい。古い友達だから伝わるのか、そうではなくて伝わってくれたのか…嬉しい。じーーーーんですじゃ!!嬉しくて何度も読んでじーーーーんとなって、何度目かにやっと「ミジンコ」というキーワードが出ていることに気づきました。嬉しすぎると色んなことをシャットアウトしてしまうのですねぇ、危険☆危険
彼女とは珍道中?の旅*2をしたり、なんだか楽しくて、あほなこといっぱいした気がします。同じところでバイトもしていました*3
私はこんな生活、彼女は早くに結婚し子育てを選び、スーッと距離が離れたけれど、私はそれは自然なことと感じていたし、またどこかでスーッと縮んだり離れたり…そんなものでしょ。と何事に対しても思っています。無理するときも必要だけれど、無理する必要はない。この2つの「無理」は内容が違うのです☆
とにかくあべひは絵が達者なうえ、若くして世界観を持っていて*4…正直な気持ちを書くと、結婚して子育てをする選択をした彼女に対して誰よりも祝福をすると同時に『絵を描くことから離れてしまうのかな…』という残念な気持ちをいっぱい。いっぱいに持っていたと思います。
けれど彼女の選んだ人生を見るにつけ「そんなことはなかったんだなぁ」と妙に納得していたのです、遠くから。
そんなあべひがあべひ娘!を連れて!?私の個展に来てくれた(しかも私は長い間気づかず)……嬉しかったですねぇ。しかもあべひ娘*5の若葉のごとくしなやかな成長振りを目の当たりにして「生きるとか絵ってこういうことなんだな」とシミジミ感じた次第です。あべひはあべひだった。やはり。すごい。
友達と友達の娘だからどうこうじゃなくて、ひとりの人としてお話した気分*6で、私の木版画を観てくれるその姿が学生時代の時のままだった。そしてあべひ娘はちょっと違って、あべひ娘の観かただった。
今回並べた木版画作品、違う木版画作品からも「かなしみ」を受取ってくれる人…いるんだ。愛でつつ儚んでいる気持ちを共有できることに奇跡を感じます。
私は生物と同様に水性木版という技法の儚さも愛でています。版の上に墨をのせた瞬間から水分は蒸発し、今この時が消えてゆく。その消えてゆく姿を愛でなが*7和紙に摺りとるという作業。儚さを摺っている気分になる。
当たり前といえば当たり前なのだけれど、版にのせた絵具以上に美しい摺りはできないのです。版にのせた状態がもっとも美しく(もちろんそこを目指している)、私しか対峙できない美しさを眺めて、そのかなしみ、強さ……言葉にできない心持ちになります。静かな静かな熱を帯びた世界。そして、その美しい版をバレンで摺るのはまた別の話(失敗することもたくさんあるからね)。
版木もバレンも木や竹皮、漆、和紙などでできているから…生き物なのです。
それを考えると、私がどうして水性木版を選んでいるのか……なんとなくわかる気がする。あべひの日記が多くのことを汲取って言葉にしてくれていると思うし、思いたいし、そうだったらいいなぁ。と感じる。
ありがとう、あべひ!
あ、写真は「ギャラリーさんぽ」でハンココンプリートをしてくださった方のお写真(掲載了解済み☆)私の木版画作品「ちょっとそこまで(タコの赤ちゃん)」バッジをすぐに付けてくださいました☆似合っていたので、パチリ!*8

*1:学生時代の同級生&親友

*2:北海道の層雲峡の朝もやのなか、タンデム自転車を乗りまわしたことは忘れられません!!

*3:私がスカウト

*4:そういう人は少ないと思います

*5:本名は素敵なお名前ですが、伏せておきます

*6:私はそういう付合い方しか出来ないのかもしれないという予感がしています…もしかして、なんか残念な人?。

*7:大急ぎで☆

*8:あべひもこの写真を喜んでくれると思う☆ぜったい好きでしょ!