開眼☆ゴーヤ

ゴーヤ。茄子。ズッキーニ。豚肉。の炒め物。おおおおお、おいしい。こんなに美味しいゴーヤを食べたのははじめてです☆シャキシャキもっちり、ほんのり苦み。ゴーヤってこんなに美味しかったのぉ?
お料理を頼むとき、「ゴーヤあかん?」「あかんことはないけど、とくべつ得意ということもない」なんて会話(私が後者)をしながら注文。大好きなお店なので『もしかしたら、ちょう美味しく調理してくれるかも』という期待もありました。…そうなのです、私は「ゴーヤ苦手」だったのです☆
けれどけれど、さすが。すごすぎ。語彙が乏しくなる☆うましかて!ちょっと家でもゴーヤを使ってみようかと思いました。中のワタ部分をきっちり取除いていたり、大きさを揃えて切っていたり。とても心が行き届いているのが美味しさの根っこだろうなぁ…と思いながら食べたのだけれど…あのシャキシャキ感は火加減だと思う。あとは調味料の調合とか入れ時?うむむ。すごいぞ。
と、パクパク、イロイロ食べたのだけれど…ぜんぶ美味しかった。やっぱり。滋養あふれてます。
そしてご飯を食べながら同席者ちゃん*1の近況を聞いて驚愕。と同時に「だからそうだったのかぁ……なんで?って思ってたもん」とものすごく納得。臓腑に響き渡るご飯を食べながら、腑に落ちる話を聞いて…さらには「昔っから苦手。頭がわーんとなって身体が拒否する」という音の話になり……内蔵にビンビンくる話で盛上がりました☆
ちょっとそれはもうちょっと詳しく聞きたいねぇ……って気持ちもありつつ、腰を据えて話しだしたら終わることがなさそうだなぁ。と思ったのでした。
つぎは近いうちに大阪で会合?するか、松本市で会うかのどっちかやね…なんて話になったのだけれど、人は本当にいろんなことを感じて、もしくは感じないで、それに気づいたり、気づかなかったり、話を聞いて合点がいったり……たくさんのものをそれぞれに抱えて生活しているのだなぁ……ゴーヤも美味しいし。
私はここ1、2年*2、選択しなかった方に興味があります。たとえば木版画で言えば摺らなかった(版木を彫った)部分に感じるものや考えることが多いのです。選択した方だけにだけ価値があるのではなく、選択しなかった方の意味を問うことにも価値を見いだしたい?う〜ん、価値って言葉が適切じゃないと強烈に思っているけれど、いい言回しが見つけられないことがもどかしい。
同行者ちゃんの未来が愉しみすぎる。

*1:珍しく、あえて伏せてみます☆

*2:無意識ではもっとかも