ひとりとふたり

写真はヒトリシズカという山野草。日当りがよくなりすぎてダメかな…と思っていたけれど、しっかりした姿を見せてくれました。チゴユリも葉を出してきて小さな群生になっています。
掌に乗る鉢植えひとつも私にとって秘密の花園*1です。うちの庭は(なだらかに繋がってはいるのだけれど)外からは死角になるので、本当に秘密の花園状態。花をつける植物は少ないから、秘密の園かな。私と植物を愛するお隣さんしか知らない。木の柵を開け細く薄暗い小道*2を抜けた先にあります。
庭は私の管理下にありますが「野庭(私が勝手に命名。=ほったらかしの庭)」なのでフリーダム。ぜーんぜん知らないユリが花をつけたり、もっとも愛しているシダ科の植物は年々勢いを増し、その反対に侵略的外来生物ムラサキカタバミやハルジオン*3。メマツヨイグザなどはなりを潜めた印象があります。外来植物*4に関しては、みつけたら摘み取っていたというのもあるのだろうけれど……「とってもとってもなくならない!ウラジロチチコグサ」などは本当に時々見かけるだけになり、しかも株も小さくひっそりし、うちの庭では年々侵略的ではなくなってきているのでした。と同時に庭全体の植物の種類が増えている気がします(私が植えたわけではない)。私自身が増やして植えたからと言って根付くとはかぎらないし、それぞれの植物が競合しながら変化していっているように感じます。
これからどうなるのでしょう。ずっと見守ることができたらいいのだけれど。
植物ばかり書いているけれど、動物も元気です。爬虫類も昆虫も本格的に活動しだしました。鳥類は(いまだよくわからないけれど)種類が変わってきたかな。
先日、私の木版画について「動物をモチーフにしつつ、私(むかめ)が今ここにいる。今を生きている。というのをのせていってほしい。社会というのを意識してほしい」ということを数名の方に仰っていただきました。うーん、仰っていることは理解できるけれども……ピンとこなかった。今ここに生きている私が今ここに生きている生物に魅了され、過去の歴史や在り方やこれからのことを考え、さらにモチーフを深め制作することは、今生きていること。社会と繋がっていることだと思っているから。むしろもっと突き抜けたところにいってみたいと悪戦苦闘している(つもりな)のに、どうしても社会というのが纏わりついてくることに課題すら感じている。
動物がモチーフというのは世間や社会と隔離というか、距離があること*5のように見えるのだろうか。私は違うと思う。そのあたりのことを時間をかけて自分自身に問いかける作業は必要かもしれない。そうしてそれを人はどう感じ見るのか?というのは面白いと思う。
写真に話を戻すと、姿形や大きさも全然違うんだけれどもフタリシズカという植物もあります。「二人静(ににんしずか。と読むらしい)」という半円を合わせて一対(丸)になる紅白干菓子もある☆先日頂いて「わぁ」となりました。。名古屋の和菓子屋さんのもの。二人静といえばお能のイメージだけれども、紅白にしてしまうとは!*6たいへん眉目麗しい干菓子です。

*1:サギソウも芽を出してきました。

*2:北側にあるので。小道といってもそんなに長くないです☆ギボウシが勢いづいてきました。

*3:ヒメジョオンは元気いっぱい

*4:庭に出るときに図鑑のなかでなにをもっとも見るか?と言われたら、外来植物。在来種よりよっぽど詳しくなります☆☆そして外来生物とはなにか?在来生物とはなにか?を庭を通して考えることが多いのでした。ほかにもう一つ図鑑を片手にチェックしまくるのは「食べられる植物」☆

*5:コンセプチュアルであるとはなんぞや?ということも踏まえて。私はソレ自体にピンと来てないからなぁ…。

*6:弔事用もあって、それは白と白。こちらはお能のイメージと重なります。