覚書

ボローニャ☆フィエラ(ブックフェア)2日目。
会場の中央部にはステージがあり、一日中いろんなトークショーが行われています。その周辺にエキシビジョン入選者の作品や特別展の展示。壁一面(とっても長い)にズラーッとイラストレーター達が「私をみつけて!」とばかりに自作の自己PRの作品を貼っています(写真参照)。相変わらずすごい。あわわわわ。
会場を一周するだけでクタクタ!なのだけれど、朝からとってもとっても打ちのめされる出来事があって、しょんぼりするやら、考え込むやら、私の伝えたいことがまったく違うように受取られることがこんなにツライものなのかと思うやら。なかなか得難いと言えば得難い。そんなこと言ってられないといえば言っていられない経験。
けれど、なにを言われようと自分で選んでここに来たんだものね。というのは変わらないので、持参したご飯をたべて*1、気を取直して!なんて一日。でも気づけばショボッとして、普段は自分の中でどうにかするけれど(とうとう)「つらいし、私はそういうつもりではない」と愚痴るほど。愚痴ったあとに「聞いてもらって申しわけなかったな…」と思ったり。
夜には街にある音楽博物館(だと思う)に足を運ぶ。昔の楽器や楽譜や肖像画。オペラの舞台、衣装デザインのノートなどの展示と絵本の展示。

革貼りで掌に乗るような楽譜には目を奪われました。あれってどういう場面で使われていたのでしょう。携帯用?建物自体もいつまで見ていても飽きない。
そしてそして「おいしいものがたべたい」と、ようやく街へお食事に☆ボロネーゼ。ラザーニャ。ティラミス…しみじみおいしい。やっと身体に染込んで血肉になるものを気を張らずにゆっくり食べられたのでした。
お店を見ながら通りを歩いたり、少しややこしい(けれど楽しい!)やり取りをしてお野菜やくだものを買ったり…ほんのちょっと観光気分。あぁ、わたし異国にいるんだったわい。と思ったのでした。そういう意味でははじめっから街には馴染んでいたのかも。どこに行くにも、まぁ迷うことはさほどないのが面白い。小さい通りにもしっかりと通りの名前があるから「あれ?」と思ったら、しっかりと地図で確認して「あれあれ?」と思ったら通りと通りの交差する場所に行くか戻るかしたら現在地が正確にわかるのです。通りは人名だったり地名だったり。
しょんぼりする一日だったけれど、夜に日本から「上橋さんがアンデルセン賞取ったのもう知ってる?」とメールが来る。
獣の奏者守り人シリーズを生みだされた上橋菜穂子さんが国際アンデルセン賞にノミネートされ、今回のブックフェアで受賞者が発表されることは知っていたのです。私はそういう場にいられることにドキドキしていたけれど……実際にはあまりに疲れ切っていて『今頃、どこか(たぶんあのブース)で発表されているのだろうな…どうだったのかな』とぼんやり思っていたのだけれど……嬉しい。
賞というは思いがけずポッと灯っている温かい電灯だったり、ご褒美だったりするけれど、それは全てではないし、はじまりでもおわりでもなく通過点ですらない。制作とは一切関係ない!と私は思っています。やはり本来は作品の素晴らしさがキラキラと輝いているだけ。上橋さんはずっと素晴らしい作品を上梓され、これからも書き続ける。まえから素晴らしかったし大きなものに向合っておられた。
とわかってはいても、嬉しい。今回の受賞でもっともっともっと!世界中のたくさんの国で上橋さんの作品が翻訳され、読まれ、人の心を揺すぶるのだろう……と思うと、じーんと熱い気持ちがこみ上げてきて嬉しい気持ちになる。私自身が打ちのめされたことでは涙なんて出ないけれど、上橋さんの受賞には気づいたら涙ぐんでいた*2くらい。そんな素晴らしい発表がされた会場にいられた幸運に感謝。
私は上橋菜穂子さんとは一度だって面識はないけれども、どれだけ上橋作品に背中を押してもらったり、立ちすくまされたり、石を投じられたのだろう。私に寄り添ってくれただろう、いままでも、これからも。本当に嬉しい。多くの人に長く長く読まれてほしい。偉大な作品は多くの人の目に触れられるのがふさわしいし、そうであってほしい*3。作品だって読者だってそれを望んでいるはず。
アンデルセン賞はようやく上橋菜穂子さんという才能と存在に気づいた。
上橋さんがアンデルセン賞を受賞された知らせは、とても短いものだったけれど、何故か勝手に励まされた気持ちになったり、疲れているけれど考えることはちゃんと考えて明日もがんばろう!と踏張る力を与えてくれたのでした。

*1:異国の、しかも「美食の街」と誉れ高い土地で毎日手弁当☆その手弁当はハムやチーズ。パンやお野菜にくだもの。イタリア満喫なんだけれど、やっぱり手弁当手弁当。簡単に挟んで食べるだけ。

*2:いまも覚書を書きながら涙ぐんでいます。

*3:なにをもって「成功」というかは定義次第だけれど、「もっともっと認められてしかるべき」と思う作品はこの世にある。