19年まえのきょう。わたしは18歳で前年末に退院したばかりの身でありました。いまも西宮市民で身体は弱いけれど、木版画もしていなければ*1、グッズも作っていなかったし、まだ知合っていない大切な人達も沢山いれば、別れがくる日なんて考えもしない人も沢山いたのでした。
わたしは、もしかしたら人と共有できるものをほとんど持っていないのではないか(残念なことだけれど)……と思って生活しているのだけれど、共有できることもあれば、やっぱり共有できないこともある。ここのところ、フト気づいたり思ったりすること。
18歳と少し経ったころ(19歳だったか20歳だったか)、はじめていただいた絵の仕事は哲学書の挿絵でした。心の中で勝手に『哲学書は30歳を過ぎてから読む』と誓っていたのに、なんとも早い(しかも初仕事)訪れに戸惑いつつ、必死で本を読み、必死でラフスケッチを描いたことはよく覚えています。哲学者ではないけれど私に仕事を下さったかたが勧めてくれたペーター・ハントケの詩にいたく心を打たれたこともよく覚えている。
こんな時が訪れることも18歳の頃には予測できなかったです。少し先のこと、わかることもあれば、ちっともわからないこともある。

*1:悪夢を見るほどデザインをしていました☆