繰返しおもいだす

午後から短時間だったけれど課題にしていた銅版画に手を加える&刷り。銅版に手を加えるって……こんなことができるんだぁ。銅版は門外漢*1なので目新しくて楽しくて大変だけれど、一番の目的は刷ることだったので感動はあとに取って作業を進めました。版自体は7月に作ったものなので、半年近く抱えています。まだまだしつこく刷る*2つもり。
今回ようやく見えてきたことがあって、それを刷りに意図的に反映させられたのはよかったかな。7月のとき先生に「この版はもっと美しく刷ることができる」と、目の前で銅版の刷りの扱い?をパッと見せられて衝撃というか感激したことがありました。銅版と油性インクという存在が、私のなかにはじめてどっしりと腰をおろしたようでした。
ほんの一瞬の出来事。時間にしたら10秒くらい。あの時のことは幾度も思い出し、刷るときには意識しなくともイメージ上にあり、「もう本当に凄かった」と感激を口に出しまくっているのだけれど……たった10秒の経験は私にとってはとても大きなものだったように感じます。「1回、ほかの版種がどんなのかやってみようかな」くらいの気持ちを、一瞬でそうではない気持ちにさせてくれた。
木版でもありました。幾度も。おそらくこれからも。ずっとやっていても、はじめての経験は感激を携えてやってくる。
そろそろ大きいサイズの木版を作らないと☆なので、銅版の刷りに熱中してるんじゃなーい*3☆☆なんだけれども、いい刺激といえば刺激。違うものといえば違うもの。銅版に触れたとことよって、なにか変わることってあるのかな。と思うときがあります。
軽く撫でるような接し方じゃあ変わらない*4だろうけれど、今月はようやく銅版の刷りっていうものに触れた手応えを感じたから、これからその手応えに対してアプローチしてゆけば変わることが出てくるかもしれないし、変わらないことがハッキリするのかもしれない。それが何なのか、知ってみたいな。

*1:木版だってわかっちゃいないけどさぁ。それとは同列には扱えない門外漢度とでも言いましょうか。

*2:年単位で抱える気がします。もしかしたら二桁(10年以上)粘るかも。そういう予感すらしています。

*3:いえいえ、木版はもっと熱中してやっております。

*4:すくなくとも私は。