おおらかだけれど細やか

写真は遠くから撮ったもの……おそらく南天とヤツデですね。年に数えるほどしか通らない場所…けれどいつも通りがかるのを楽しみにしている場所でもあるのです。
遠くから「赤と白の南天だなぁ。なんともいい感じで合わさってる」と思っていたのだけれど、近づくにつれて白南天じゃなくてヤツデだと気づき、いいですねぇヤツデ。雨に濡れる緑の大きな葉と白い花。
剪定をしていないので無造作な感じがするるけれど、どちらも人の気配が色濃くにじむ植物であり、なおかつおおらかな園芸がお好きな方の手が入っているのだろうと感じます。南天の実とヤツデの花を合わせるなんて……そこにいる方の生活の美しさを受取った気持ちになりました。そしてどうして私はそこを通るのを楽しみにしていたのか、腑に落ちたようです。
この頃、通りがかるのを楽しみにしている場所。をいくつか発見しました。四季折々たのしむのだ☆と思っています。どれもこれも共通するのは混ぜ垣だということです。私の好みなのでしょう。
私の好みといえば*1……黙っているのが好きなのです。お喋りも好きだけれど、こちらは完全に後天的。お喋りに関しては楽しむことを学んでいったと確信しています。もともとは黙っているか、誰かが話しているのを聞くことが落着き*2ます。
こういうのって後天的なものの方が確実に社会性がありますね。自覚して身につけたものは安定してブレないというか。では元々持っていたものは不安定でブレやすいのか?といえば、全部が全部そうではないだろうけれど、パッと良くない形で出てしまう時がある。
私の場合は「この人なら大丈夫だろう」と判断した時でしょうね。この人ならわかってくれるだろう。この人なら受容れてくれるだろう。ようは気を許している。でも……無言で間が持つって、じつはとても難しい気がします。双方大丈夫だったら問題ないけれど、片方が間が持たないと思ったら……それは心遣いの問題ではないですか。そして私は無言平気ハードルが一般より若干低い気がする……ということを考えました。今朝。反省を込めて。
そうして、その反省を生かすべく☆早速「いままでなら黙っていたけど、すこしだけ積極的に黙ることをやめてみる」ことにトライ☆☆結果はだいたいにおいて良好でした。けれどひとつふたつ黙っているほうがずっといいシーンも。それは内容がどうこうじゃなくて、相手次第。
えええ〜〜相手次第〜〜〜??……振出しに戻ってる??

*1:「信じられなーい!」という声と「わかる、わかる」という声が聞こえてきそうだけれども。

*2:小さい頃から私を知っている面々(親兄弟)などは「いるかいないかわからないくらい静か」というイメージが強いので、外で私が歓談!している姿を(たまたま)見た時はショックと心配(めちゃくちゃ無理しているのではなかろーか?と思うらしい)がごちゃまぜになるそーです。