はわわわわ〜

あさから体も気持ちも大忙し。はわわわわ。はわわわわ。ほっ。はわわ。は!わわわわわ。ほっ。はわ?はわわわわ。がーん!こんな感じで一日を終えた気分です。
法事からスタートした一日だったのだけれど、肌寒くても陽射しがあると……この時期のお墓ってよいです。葉が落ち切っていないので、木漏れ日を感じられて、それが暖かかったり、秋を感じたり。けれど、それをいいことに故人を懐かしんでいたら時間が……第一はわわわわ勃発!
一旦は自宅に帰ったけれど『もう予定オーバー(色んなこと)間にあわない!けれど急ぎたい』と思って、真っ黒の服装のまま出かけることに。黒っぽい服装は好きなのだけれど、似合わないのですよね。その居心地の悪さを抱えつつ「ま、いっか!仕方ない」でした。それでもやっぱりモロモロの用事が間にあわないで、どよん。
そもそも故人を偲ぶ日に(理由はあれど)いくつも用事を重ねて入れてはいけない。と戒める出来事だったようにも感じます。
そんなことを書きつつ……写真をご覧ください!トコトワさんところのドードーさん作☆鴉天狗軍団。写真には九匹の鴉天狗がワイワイしているのですけれど、そのうち四匹が私の鴉天狗☆☆白装束白鴉。白装束黒鴉。白黒装束黒鴉。黒装束黒鴉。はわわわわ。一番目立っている子は「イモト鴉天狗」と呼んでいますが、私の子ではありませぬ。京都で受取ってきました。トコトワさん&ドードーさんとお茶をしながら鴉天狗選び&ワイワイ&撮影。
ドードーさんが作ったクマちゃんもいるよ☆*1」と、ポーチに付けているクマビーズを鞄から取り出してみせたら……クマちゃんの頭が変に曲がって?ぐったりしていました……はわわわわ。けれどドードーさんのビーズモチーフは強く頑丈なので大丈夫。エイヤと首をひねれば?元通り元気クマちゃんです。
私はキーホルダー類をジャラジャラ付けるのは好みではないはずだったのだけれど……この調子では危険です。鴉天狗ばっかりジャラジャラついているポーチが出来上がってしまいます。
ほかに「ええ?私でいいの?!」とビックリするようなお誘いをしていただいたり、ご紹介を受けたり、会えないと思っていた人とお会いできたり、反対に会ってお話をしたいと思っていた人には(残念なことに)会えなかったり……盛りだくさんで気持ちがついてゆきません。
そして、そして、きょう一番の収穫?がーん!?だったこと。同じ言葉で話していても、あなたと私では言葉の解釈や、そもそも言葉の存在をどう捉え、使用しようとしているのか?の出発点が違うのではないかしら?と(大分経ってから)気づいたこと。
絵のことを話していたのだけれど、相手の方が私とは比べ物にならないくらい鍛えられているし、そもそも持っているものが骨太。そういう背景や、その人の持つ勢いもあって、お話ししていてもズイズイと『土俵いっぱい寄切り〜〜』バタン(私、寄切られる)。というようなことが続きました。少なくとも私はそう感じた*2のでした。
けれど……話の合間に『この違和感は通じ合えていない違和感。なんとなくそんな気がする』と思うことがあって、一人になって考えてみると……言葉の解釈の違いや、言葉から躍起されるイメージの違いの差が物凄く大きい*3のかもしれないって思ったのでした。
「それ」について話すとき、整然とした答えを求めている人と、物語を通した語りを求めている人の差なのかもしれせん。真実はひとつだったとしても、そこへ辿り着くアプローチ法は各々で違い、その違いをどう発信し受止めるか?が問われているのかもしれません。と書いてしまう私は、もちろん物語を通した語りを求めているタイプです☆
不思議です。私にとって「言葉」のスタートは、自分のことを相手に伝えるにはどうすればいいのだろう?という一心でした。現状を切り口鋭く伝えるために言葉を獲得し、生活する上で欠かせない技術として言葉を磨こうと頑張ってきたはずなのに、ハッキリとわかるようには話せない。言葉を選べない。物語のなかの言葉やある瞬間に真実を見いだしたがっている。
なーんだ、小さい頃の「肝心なときであっても、なんにも話さない子」から変わってないみたい。とってもショック!本日一番の「はわわわわわ」は、変わろうと自覚してジタバタしまくって生きてきたのに、よくよく見てみたら小さい頃からなんにも変わってない(かもしれない)。と突きつけられたこと。

*1:白装束白鴉&白装束黒鴉もポーチに付けているのを見せびらかしていたのです

*2:時折『わたしって、張り合いのない相手だろうなぁ…』って頭をよぎる。

*3:しかもとっても大事なシーン