プリンター希望

プリンターと言っても、コピー機ではありません。刷り師さんのことを英語では「プリンター」と呼びます☆☆☆
きょうの私は番外版画☆をしました*1。自分が作った版も楽しかったけれど……人の版を「わたしに刷らせて」と断って(ほぼ了解も得ずに)刷らせていただいたのです。ビックリするほど楽しかったです。木版ではない版画だったというのも大きかったのだと思うけれど、目の覚めるような楽しさでした。
なにが楽しかったって……ただただ純粋に手にしている版(ひいては作家)に、ひっそりと寄り添う感じ。目の前にある版(作品)の見せ場や魅力的なところを見つけて、インクを詰めたり拭き取ったりして「やっぱりいい」「この部分もよかったんだな…」「ここは思ったより弱い」なんて*2冴え冴えと考えながら熱意を持って刷る状態は、なんとも言えず心地よいものでした。
お仕事があるならプリンター希望*3☆☆☆☆
見ているときにはわからなかった、作家の意図。無意識の線に込めている(作家自身が気づいていないであろう)感情。みたいなのを発見して「なるほどな…この線にはこういう意味があったのか」と納得するときがあるのです。それは鑑賞していても発見することなのだろうけれど、刷るという行為を通して違う角度から発見や理解をして……それを鑑賞者に「ほらほら、ここがいいのよ。ね?いいでしょう!」と伝えたいような。深いとか浅いとかではなくて「こうしたら、もっともっと作家が言いたかったことが(刷りを通して)ハッキリと伝えられる。伝えたい。」気持ち。やはり寄り添うという言葉が一番ピッタリだと思います。
プリンターだからこその気づきというのも、あるかもしれません。もしかしたら作家よりも作家と作品を深く理解するプリンターが、この世界には存在するのかも。なんだかとってもマニアックだけれども。
今週は木版の摺り師もどき。木版ではない版のプリンターもどき。なんとも得難い経験でした。「私、刷るの好きやねん」と自信を持って言えそうです。言わなくてもいいんだけど。

*1:木版画とは違う版種です。あえて書くなら銅版に近いもの。

*2:冷静に。ときには冷徹かもしれません。

*3:ただし木版を除く。木版だけは自分がメインでやっていますから、冴え冴えと…とはゆかないようです。邪念が入るというか、同版種の人の作品と向合うには人間性が及ばないというか。