ぐったり

きょう気づきました。私はバテて(疲れて)いる!からだのサイクルもあるのでしょうけれど、怠いし眠いし…一日中眠っていろと言われたら、喜んで寝ることができます☆☆けれど段々と上調子になってきているのでした。
写真は先日撮ったもの。野趣あふれています。と書きつつ野趣あふれていない植物も混じってる……けれども慎ましやかな雰囲気を損なっていないんだから、そこは目をつぶりましょう☆☆
私は「そこらへんで元気に茂っている植物」が好きなので、切り花を室内に飾ることは(よほどじゃないかぎり←誰かにいただくとか)ありません*1。けれど写真のものは「こういうの、いいなぁ。」と思いました。じゃあ、庭のシダやお茶の木やマユミなんかを切って生けるのか?と具体的に考えたら………しないんだけれども。いいなぁ…と感じることと、自分もそれをするのか?には距離が発生する時があるのよ。
ぐったりしつつも、きょうはあさから歯の矯正(通院)の日でした。時間が経つにしたがって歯が痛くなる日。どよん。歯を移動させているから段々すきっ歯の状態が変化してきて「うわ〜うわ〜うわぁ〜ん*2。矯正が終わるまで外に出たくない。人と話したくない。ご飯はひとりで孤独に食べたい*3。」なのだけど、先生は超をつけたくなるほど褒めてくださいます。「このすきっ歯の状態がいいんです!」「とってもいい感じですきっ歯になってきています!」「よし☆☆☆」みたいな感じ……褒められれば褒められるほど恥ずかしさでいっぱいになるって、どういうことなんでしょう。あまりに恥ずかしいのと、からだがなまりすぎなので、1時間半ほどウロウロ歩いて買出しをして帰宅したのでした。
自意識過剰なんだろうと思うけれど、(歯の矯正にかぎらず)私には恥ずかしいと感じることが多すぎると思いました。若いときは「年を取ったら平気になる(って色んな人が色んな場所で言ってるし)」くらいに思って明るい気持ちになっていたのに、どうしようもなく解消できないこともあるみたい。
一番どうすることもできないことは人に注目されるということです。『視力が悪くてよかった*4』と心から思うほど、人から見られていると感じ、それを認識する(目が合ってしまう)ことが私に緊張を強いる。何かをハッキリと見たい時*5だけメガネをかけて、あとはぼんやりした景色を見て過ごしています。世界をはっきりとさせることにあまり興味がない。相手との距離がちょっと離れたら目が合っているのかいないのかわからないことに安心する*6
自分から見る(しかも凝視する)ことには執着しつつ、見られることは否定的な意味あいで執着しているのでした。この頃思うんだけど、私がものを見ようとするときの見方が「見られたくない」と思う原因なのかもしれません。じつにぎゃくせつてきではありますが。

*1:鉢植えはポツポツあります。食虫植物。多肉植物。いただきものの観葉植物。あとはツムリズのために栽培?している人参の葉など。

*2:恐怖&なんだか恥ずかしい

*3:到底むりな話なので、素知らぬ顔をして人と話して、ご飯も食べているけれど。相手の人も「矯正してるんだな」ってわかってくれるだろうし、開直りが肝心です。

*4:こんなこと思っちゃダメなんだろうけれど…。

*5:絵や映画や動物の細かい部分を見るとか…そーいうこと。

*6:私は安心しているけど、本当に大勢の方に失礼なことをしているのだけれど……気づかずに挨拶しないとか、気づかずに無視したようになってしまっているとか……気づかずに相手を凝視しているような状態になっているとか(でもこっちは凝視しているつもりはないから、無視)……