赤あたまの金魚さん

ネットを通して気づきました。きょうはクリスマスイブなのですね☆引きこもっていたら、積極的に情報を入れないかぎり世の中のことはてんでわかりません。クリスマスイブは家にいてもカレンダーを見ればわかるのだけれど…見ても思いつきもしなかったです。外のことはと言えば「夕方になっても、外にあるメダカ家(水槽)やカメズ家に張った氷が溶けないな〜」くらいしか気づかない一日だったのでした。写真はなんとなく「クリスマスっぽい感じがしないでもない」金魚。
超☆難航している版画があって、もう大丈夫かなぁ…くじけないで*1仕上げることができるかなぁ…です。あまりに先が見えなくて*2不安だし、けっこうチャレンジしたので、そのチャレンジがどういう形になるのかも不安だし、和紙を無駄にするような選択間違いもしたので…いろいろとグラグラしまくりながら、進めているような状況です。
版木を彫って、あとは摺るだけ☆というところまで進めたのに「やっぱりやめた」という木版画作品は、記憶にあるかぎり(11年間で)ひとつです。トノサマバッタをモチーフにしたもので、木版画をはじめて9ヶ月ほどでした…やめた理由はいつくかありました。トノサマバッタよりも他にやりたいモチーフ*3が出てしまい、トノサマバッタを仕上げるまで待っていられなくなった。版木の見当の位置を「あちゃちゃ…」という場所に作ってしまって、ぼやーん。としてしまった。モチーフへの強い気持ちが保てなかった*4。などなど。
いまでもしつこく覚えているくらいだから、途中で投げ出したことを悔やんでいるのです。私は出来なかったんだ…という(ちょっとした)挫折感すらあります。
そういう気持ちになる明確な理由があります。学生の頃に先生が「作ったものを仕上げる癖をつけないと、仕事はできないよ。少なくとも続けることはできない。気に入らないから(もっといいものを作ろう!と思って)やめて次。を繰返していたら、「仕上げられない」「完成に持ってゆけない」癖がついてしまう。仕上げられないということは、そもそも取りかかることもできなかったことに近い。」というようなことを仰っていて、私はその言葉にいたく感激というか、「それはそうやわ」と納得したのです。それからというもの、取りかかったものはどんなに辛くても、諦めたくなっても、そうすればラクなのに*5と思っても、仕上げまで持ってゆく。という事に縛られて*6います。
しかし今までに「ダメだと思ったら、つぎ」と見切ることができるのも大切なんだな…と思うような取り組み方をされている方を沢山見て来ました。そういう取組み方で素敵な作品を生み出しておられる。
いい感じで両方を持っているのが(私にとっては)理想に見えるのだけど、おそらく私は『仕上げまで持ってゆく』に縛られ続けるような気がしています。投げ出さないことによって「あ〜ジタバタしてよかった」と思う経験が多いのです。木版画にかぎらず、生活全般において。
もちろん、しょぼ…も多いんですけどね。
いま、取組んでいる木版画はどうなるんでしょう…版木や和紙をまえにせずとも、考えるだけでグラグラしています。

*1:くじけてやけっぱちになって仕上げる。のではなく、最後まで頑張り通せるか。というのが大きなポイントです。くじけてやけっぱちになって仕上げることはできるんです。諦めてテキトーにやればいいんだから。でも、それじゃ作らないほうがマシくらいに考えています。

*2:作品として破綻してしまっている(作品になっていない)出来になる気がする不安とでも言いましょうか…。

*3:スズメでしたね……。

*4:いまは当時よりもトノサマバッタへの気持ちが強かったりするのですけどね。なにかあるごとにトノサマバッタとバッタを調べたり、庭で仲間を観察したり、スケッチしたりしている自分がいますし。もしかしたら、違う形でいつか作るかもしれない。

*5:「投げ出してしまった」という苦しみにとらわれるんですけどね…。

*6:ですので「投げ出すことはない」と感じられるものじゃないと取組まない面があって、それはそれでどうなんだろうとも思ったり。課題です。