お盆シーズン

買出しにゆくと、お盆用品?がたくさん並び始めました。お供えものも時代と共に変化して、落雁だけじゃなくて可愛らしいゼリーみたいなのも発見。去年まではフルーツを模したもは見かけたことがなかったので(私が気付かなかっただけかもですが)、変化しつつもお供え物は生きているのだなぁ…と思います。
きょうは買出しと、法事に出席するのでお供え物を選びました。
私にも(びっくりするほどに数は少ないけれど)「こういう熨斗紙でこういう風に書いてください」とお願いする機会があるのですが、今日はそういう日。こういうものはその土地の風習、さらにはその家のルールを学習することなので、問うてみなければわからないことばかりです。
小さいころからこういう一連のことに馴染めず、家族*1からは変人というか困った子として扱われてきました。私自身も不思議に思うくらい拒否反応というか、逃出したいくらいイヤな気持ちを持て余していた感じです。
いちいちつまずいて馴染めないレベルが大変高かった*2ので、そのいちいちに対して考えることも多く、結局はその馴染めなさが私にとっては学習になり考えを深め、やろうと思えば難なくできるという皮肉な結果を生みました。そして『こういう点はルールがあることによってスマートになるし理にかなってる場合もある。』などと認めたりする場面も出てきて、イヤでイヤでたまらないもののなかにイイ部分を見つけたりしてビックリしたりするわけ*3です。笑っちゃいますね。
私は虫捕りなどが大好きで、子ども時分は毎日虫やらカエルやらを追いかけまくり草を引っこ抜く毎日だったのですが、お盆の間だけは絶対に生き物(植物含む)を捕ってはいけない。と祖父母に言われて育ちました。毎年毎年飽きることなく言われていたのが懐かしいです。
これも風習のひとつだと思うのだけど、「(せめてお盆のあいだは)生き物を捕ってはいけない」というのはスンナリ私の腑に落ちることでした。祖父母的には仏さまがどうとか理由があったんだと思いますが、たとえその理由がなくとも納得できることでした。納得しつつも虫捕りが大好きすぎて『お盆のあいだはつまんない』と感じたりしていたのだけど……。
どこかで生き物を好きと感じることと、生き物を捕ってカゴに入れたり捕っては逃がしてということは違うのではないかと感じていたのかもしれません(でもやっぱり虫捕りは大好きなんだけど)。
よく覚えているのは祖父が「生き物を慰みものにしたらアカン。」と言っていたことです。祖父も生き物を捕まえたりするのが大好きだったんですけどね。ザラつきがあってシックリくる、いい言い方だと思います。
写真はきのう摺ったもの。うーん、イマイチピンとこない。モチーフは動物です。私は動物をモチーフに木版画を作っていますが、動物を画面に閉込めること、表現に使うことは、慰みものにしているのではないか?と思う時があって、これに関しては私にとって深いテーマかもしれません。

*1:正確には親族。

*2:最高レベルが99までしか上がらなかったとしたら、私は裏技で100になっていたくらい☆☆

*3:大きいイヤの中の認める。なので、イヤであることには変わりないのですけどね★★