グズグズ

朝からひさびさに摺りました。はじめての技法を使ったのでドキドキワクワクだったけれど「ふーん」と「おもしろい」2つの相反するような印象を受けました。今回やってみた技法、今後も深めたいのか…と考えると、うーん微妙。これからどう気分が流れるのか楽しみです。
きょうはガーンとなること、嬉しいことが忙しくやってきました。まずガーンがきて『はぁ…気持ちが疲れたから、とりあえず横になってみよう』とゴロゴロしながら本を読んでいたら、いつの間にか寝てしまい、起きると室内は真っ暗でした。この時期に室内が真っ暗になるって…7時頃ですよ。
起きたら気持ちもちょっとはスッキリというか「ま、しゃーねぇよなぁ!」となり、モゾモゾ起きだして用事をしたり、ひさしぶりに友達に連絡したり、いろいろ思い出したりしたのだけど、よい時間でした。起きたて?の時は元気に「ま、しゃーねぇよなぁ!」だったのに、すこし時間が経つと、ちょっとしょんぼりが入る「しかたない」になるのが笑えます。自分の感情のままならないことよ。
自分と向きあうことは大切だけれど、よくない向きあい方というのは確実にあるのだろうと思いいたりました。でも心や体が弱っていると、よくないと思いつつ、そういう向きあい方を(あえて、わざわざ、それだけを掬い取るかのように)選んでしまうというか、やめられない誘惑があると思ったのも事実です。どこかで『こんな取るに足らないことで』と思っている自分もいて、その取るに足らないことにショックを受けている自分を違う自分が冷たく眺めてうんざりしたり。すくなくとも私は。
そういう感情って、ガーンという事実を認めたくないのか。または自己レンビに浸りたいのか。自分じゃないものに原因を求めて気分を軽くしたいのか。……そのあたりが芯にあるんだろうなって感じます。
一生に1、2度そういうことがあるのは(少々周囲に迷惑をかけたとしても)人生の彩りかな。くらいに思えるけれど、そんなにしょっちゅう私の人生にはいらなーい。そんな生き方選びたくなーい。
寝たり、ご飯たべたり、こうやってブログで書いて、おそらく笑いながら色んな人に話したりして、自分を立て直すんだろうなって思います。結局はひとつひとつの選択がショックを受けて落ち込んでいるってことを見事に証明しているのでした。