木版との出会い

写真に少しだけ写っている建物は手塚治虫記念館ブラックジャックの手、とても小さいのですよ(色んな手塚キャラの手形があるのです)。
いじいじ細かく彫っています。絵師、彫り師、摺り師。という分業である職人さんの世界への尊敬と憧れがじんわり沸き上がるのは、こういう「いじいじ彫っている」気分になっている時や、うまく出来ない時や、うまく出来た時や……書いてみると、なんだ。いつも憧れを抱いています☆
すこし長い自分語りになりますが、私と木版の出会いは25歳でした。話をして驚かれたことがあるのですが、学生時代には木版と出会っていません*1
25歳の時に美術館主催の実技講座(油彩、水彩、木版コースがあったと思います。)に通ったことがきっかけです。当時、生活に少し時間が出来た頃で「時間ができたなら、せっかくだからなにかやろう」と思ったのがはじまりです。そして木版を選んだことは2つの明確な理由がありました。
ひとつ目は油彩と水彩は3年以上格闘したことがあり、それに対し木版は小学生の時に少しやったくらいで、好きで(錦絵などを)見ているだけだったから。
ふたつ目は木版は油彩や水彩と違い、紙やキャンバスに直接筆や鉛筆を置くことのない間接技法だったからです。
やり始めた当初は、物珍しさもあって楽しい楽しいでしたけど、すぐに「やりたいこと出来ないし、楽しさがわからないし、そもそも木版でなにやりたいかわからんわい」に陥り、何年かグズグズしてまた楽しくなりました。
実際にやってみてよかったことは、木版を介して知人や仲間が増えたこと。先生と出会えたこと。木版は一生関わってもすべてを理解できないくらい、奥深い技法と表現法なのだと知ることができたこと。
知人や仲間が増えたことは、すぐに実感し刺激を受けました。先生と出会えたことに感謝したのは木版をはじめて5年、6年ほど経ったころで、気づくまで時間がかかった*2けれど、今では一生で一番ラッキーだったんじゃないかと感じているくらいです。2つの出会いがあったからこそ、木版の奥深さに触れることができました。
と書きつつ、せんせーと出会えてよかった。とか、みんなと出会えてよかった。なんてことは、一度も口に出して言ったことはありません。そんなこと言えねえよ☆言われた方も恥ずかしいし☆です*3

*1:学生時代はデザインの勉強をしていました。卒業するまで画材や素材ばかりと戯れていて、ダメな生徒だったと思います。

*2:人に話すと「遅すぎじゃない?」と笑われます。たしかにそうなのですが、私にはその時間が必要だったというだけ。さらに書くと、具体的な質問したり色々と話せるようになったのは、ここ2年くらいだと思います…。つくづく気づく前に木版をやめなくてよかった…とは思います。学生時分に木版と出会っていたら関わる期間が短すぎて「ま、木版はこんなもの」と終わっていたことでしょう。少なくとも私は4年の間に本当の良さを見つけることができなかった。ってのが口癖です。

*3:ここで書いていることが、もし版画仲間に知られた場合。どうぞみなさん温かく話題に出さないでください☆