来週はじめまでに考えたかった絵、いいのが浮かんだぞい!やったやった!会心の作(になるはず)と、喜んでいたのもつかの間。どんよりな一日でした。近年まれにみるどんより具合ではないかと思います。
このブログは腰が痛いだの、絵が出ないだの、けっこう愚痴も多いブログですが、今日のは愚痴とも言えない、グズグズな内容になりそーです。
近所に残っている雑木林の一部(近所にある雑木林全体からみると小さいですが、それでもかなり広い面積です。)が宅地になるそうなのです。我が家の庭の先にあるプチ雑木林も宅地に…そういう計画が出ているという説明を業者の人が話にきたのでした。出ているということは進んでいるんだな。だったのですけれど、思わずうちの先にあるプチ雑木林を買い取ることを考えてしまいました。
西宮には「播半(はりはん)」という有名な料亭(ホテルかな…)がありました。たいへん広大な敷地で森の中にあるような場所。そこが経営不振かなにかで売りに出されることになり、建物は文化財として保存してもよいような内容で、生態系という視点からも面白い場所だったと思います。売りに出されてから色々ありましたが、今ではマンションが建っています。
時代の流れと書けばそうですし、私の住む地域は阪神淡路の震災後、多くの建物が耐震強度の問題等を理由に取り壊されました。経済状況も悪化し、とてもじゃないけれど落着いて管理、修復するような余裕もなく、本当に仕方のないことといえば、仕方のないことです。私の実家もその中に入って*1いました。まだまだ現在進行形の話です。
事実上放置され、ただただ荒れる建物や、開発の波に流される場所を調査しアクションを起こしている団体があるのですが、その団体の発足は2000年*2です。
今、この時も、苦しんだり、なにがなんだかわからないまま時が過ぎているところ、たくさんあるのだろうな。と、まっすぐキレイになった道路や区画整理された場所を歩くたびに思います。
どんどん変わってゆく育った土地を「もうこの辺りに住むことはない」と出たあと、結局自分の意思で戻り*3、もしかしたら一生このあたりに住むのかも。なんてことになっているのが現在の私です。
実家から出た時もそうでしたが、やっぱり懐かしい風景が消えるのは寂しいです。少なくとも私は寂しさと対峙しながら、その土地に住み続けることが本来できないタイプ*4だと痛感しています。時間が経てば経つほど寂しさが増して、見たくありません。懐かしい風景が消えるのが寂しいと思うたびに、各々にとっての懐かしい風景は違って、寂しさも違うんだろうとも思います。
昨年、いまの場所に越して来て、さあ私はどうやってこの土地とつきあいたいんだろう…と思っていた矢先のことで、気持ちが忙しい。ついてゆけません。
ご近所の方は昔から住んでらっしゃる方、最近越してきた方、いろいろで、今、私が住んでいる場所がプチ雑木林だったのをご存知の方ばかりで、私の知らない寂しさや残念な気持ちを抱えているのだろうと思います。雑木林を売りに出された方の想いもあるでしょう。
今後どうなるか詳しい話は先になりますが、1年か2年後には我が家からは樹木ではなく大阪平野が見えることになるでしょう。淀川、伊丹、猪名川の花火大会。天神祭や、もしかしたらPLの花火大会も(ちっちゃいけど)見えるようになるんだろうと思います。
花火を見るたびに、今、目の前にある木を静かに思い出すんでしょうか。鳥の鳴き声が近くの雑木林から聞こえるたびに「ここにも来ていたんだよね」と、やっぱり静かに思い出すんでしょうか。
気持ちの覚悟ができるまではグズグズブチブチ思ったり言わせてほしい。理解したり受入れたりする前に、きっちりグズグズしたい。作業している時にメソメソしまくろうと思います。

*1:全壊だったんですけどね。

*2:震災は1995年

*3:祖母の介護をするために。祖母の晩年につき合えたのは楽しかったです。

*4:思うようにいかないものです。そう痛感しながら住んでいるんだから。どんなに変わろうが、その土地に住み続けたい。戻りたい。と思い、その生き方が向いているのに、離れなければいけない人もいるのでしょうね…。