おとといは(風がなくて良い日だったけれど、版画の摺りでは)ガッカリの日で、きょうは少し浮上の日。短期間にコロコロと忙しいことです。
おとといのガッカリ。夏の休憩を挟んだのも含めて、何ヶ月(半年くらいですね。いくらなんでも長すぎ)にも渡ってやっている大判の木版。ひとつ見当がずれました。0.5ミリ〜1ミリくらいかなぁ…気づいた時は『ここで脱力しちゃなんね…』と、踏ん張りましたけど、片付けしている最中、暗澹たる、自分の体が小さくなっていく感じ。摺り終わったの何度も見て「元に戻ってないかな」と、祈りましたけど、祈りって都合良く届かない。
本日は、ちょっと取り戻せたかな、思わぬ方向で。でした。さいごまでわからんね。
版画に限らずですが、直接絵具をのせて描いてゆくものの楽しさ(そして苦しさ)に「取り戻す事ができない」があると思います。あ、間違った!やってしまった!と、思っても、なかったことにできない。スリルとサスペンス(サスペンスはないけど)版画もだけれど、水彩はもっともたるものではないかと思います。
その反面、取り戻すことのできるもっともたるものはCGだと思いますが、これはこれで新鮮でした。登場した時は「これしかないよ!」くらい思いました。なんの憂いなく、自分の思ったように、思うように、何度でも見比べたり、やり直したりができるんですものね。…でも、私は早々にCGは魅力を感じなくなってしまったクチなので、その魅力を十二分に語れない…。
前者の「取り戻すことができない」「なかったことにできない」技法の数々にはカラクリがあって、違った形で取り戻すことが可能ということです。パッと消すことができない、でもはじめからもできない。こういう時、誤摩化すんじゃあなく、じたばたしてみたり、試行錯誤して、思いもよらなかったもの、しかも考えていたよりも、ずっとよかったものができる時があります。うまくいけば想定外のギフト。たいてい「やっちまった!」に気持ちが捕われて、集中力がどうしようもなく逸れたりして、うまくいかないですけれど。私の場合。
今回はどうなるかな。こうなったら、じたばたするしかないね。

うちのF氏。顔を出してたので撮ろうとしたら、隠れてしまいました。