ぼんやり進み

一日中、知人宅で知人宅プレス機をパートナーに刷ってきました。木版の凹版刷り。凹版刷りの多くは油性インクを使いプレス機で刷るもので、私が普段やっている木版画とはまったく違います。
版の作り方からして違い、絵作りも違い、個人的には「なにもかも違うよ〜ぉ…いや、木版を使っているのだけは一緒かもだけど、その木版も使っているものが違うし……『木』ってついてるだけ?」という心持ちに。
一ヶ月前に少しだけ試し、2週間前に一日中刷り、今回でフィニッシュのつもりで挑みました☆「もしかしたらもう一度」という予備日もお願いしていたのだけれども、だからといってホワホワやってよいものではなーーい。つらいだけー。
知人に何度か言われてびっくりしたこと。嬉しかったことなので、書かせてください。記念に残したいような言葉。「のんびーり、ぼんやーりやっているように見えるのに、早いねぇ。しかも刷りがビックリするくらい正確。普段の木版もそんな感じ?とてもゆっったりやっているように見える」……焦ってもいないけれども、全然のんびーり、ぼんやーりって気持ちではなかったので!!!???でした。自分のことは眺めることができないから、こうやって指摘されると面白いです。
私は延々とインクの詰め方、拭き取り方、残っている手の感覚と見た感じの様子を見つつ『どうやれば手が汚れなくて、スムーズに手袋の脱ぎ着ができて、ものを動かさなくて作業ができるか。刷る紙や版を扱うことはどーいうことか。最終的にイメージに近づく、またはよりピンとくるものを作るにはどーやったらいいんだろーか』とか、そんなことばっかり考えていました。すぐに時間が経ちます。
私にとって手。最終的には紙*1を汚してしまうということが一番のストレスになるとわかっていたので、いかに軍手を汚さず、さらには手を汚さず進めるには!?この点が解消されないかぎり私は凹版は続けられない。くらいに考えていたので、手汚さねぇ☆執着はなかなかだと思います。
結果的に刷りはじめすぐくらいから「この手順とやり方なら手の汚れを最小限に止められるかも」というチマチマしたルールを発見し、それからはよりよく簡潔になるよう頑張っていたら☆やっほー☆まったく手を汚さずに済んだ☆☆☆つぎに凹版をやるまでに忘れてしまうだろうけれど。
とにかく納得のゆく刷りができてよかった。その中にひとつの版だけ『つぎの機会にがんばる』というのがあったけれど、それもゴールが見えて嬉しい。知人とプレス機ちゃんにこころから感謝。
写真は刷り終わって片付けたあと「おやつよー」と出してくれたロールケーキ。その時になってお腹ペコペコだと気づいて、ペロッとお皿のクリームまでキレイに食べてしまったのでした。お茶も全部ガブガブいただいて☆
「ゆったり美しく作業をするのは、一番の近道なんだなぁ…って、むかめちゃんを見てたら思うわ。まえに『摺る(刷る)ことが一番好き』と言っていたけれど、本当にそうなんだなぁって思う。」と言われたことは飛び上がるほど、そしてジワジワジワジワうれしかったです。思わずブログに書きたくなるほどに。わたしそういう人を目指しているのだから*2
あと「カメさんみたいね。カメの歩みよー。」とも言われ、もちろんこっちは嬉しすぎ。生物の大先輩であるカメさん目指します☆☆

*1:汚れた手や道具で紙に触れると汚れるではないですか。

*2:先生がまさにそういう摺り方をするのだった!