ダンシング

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何年も前に(色違いで)購入したTシャツ。めちゃくちゃ可愛い、けど私が着るのはなぁ!と私じゃない人用に購入しました*1。どのポーズもキマッてる気がする。何度見てもいいと思います。

あとレモンを頭につけているようにしか見えないのも、いいと思う。

*1:けっこうこういうことはあります、友達用にしたり甥っ子用にしたり

大賑わい

大賑わいの1日でした。

慌ただしい毎日ですが、きょうの大賑わい。いつか懐かしい出来事になるまで何度もくり返し反芻して、記憶を強化させて、キラキラしたものにしてゆくのだと思います。

この写真のように。

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そのいつかが来るまで、ちゃんとしっかり生きようと思います。

思ってもみなかった言葉がずーっと身体に残ることがあります。私にとっては「しっかりしろ」です。「ぼんやりするな」もそうかもしれません*1。きっと自分がしっかりしていなくて、ぼんやりしているからだと思います。けれどフと思い出す時はセットではありません。ぼんやりしているからしっかりしなくちゃいけないわけではないんです*2

「しっかりしろ」は今まで何度も言われた言葉だけれど、ある時に言われた「しっかりしろ」しか思い出せません。それを言われた時はハッとして、それから思わず笑ってしまって、そして悲しかった。自分は出来る、もしくは条件が違えば出来た事だったのに、いまの条件ではまったくの無力であること。無力だとわかった上で出来ないことを目の前に突きつけられたこと。これらを理解したのは一瞬の出来事でした。心の底からガッカリしました。さらにはガッカリしつつも「出来ないもんは仕方ないよね。努力や工夫でカバーできることじゃない」と開き直ってもいたように思います。

静かに事実を認め、諦めることを突きつけられた言葉でした。

そうであるのに、いまは自分を奮い立たせるための言葉として響きます。元気を出してみようと背中を押してくれ、知恵と工夫と努力でどうにか立ち上がってみようと励ましてくれる言葉です。不思議。どうしてだろう、わからない。

言った人の存在なのでしょうか、言った人との共通の思い出がそうさせるのでしょうか。わかりません。

 

*1:ほかにもいくつかあります。

*2:少なくとも私のなかではね。