半分にもならない

きのうみんなで食べたメニューの一部。天ぷらみたいなのが美味しかったです。サモサも美味しかった。

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今週は鶏肉団子のアレンジで乗りきるんだ!と思っているので、午前中に大量鶏肉団子を作ったつもりでしたが2日分くらいしかないよーな気がします。一週間は7日間あるはずだから半分にも満たない。

摺るときに頭の中で枚数を数えながら摺っていますが、半分くらいだと「あと半分か…気合い入れないとダメだな」と気が引き締まるというか、ときには「いや、これは休憩を入れよう。じゃないと乗りきれない」なんて思う枚数です。

鶏肉団子に話を戻すと、半分にも達してないって…しょぼぼ。美味しく食べて頑張ろう。

帰宅途中に実家に寄ってそれから自宅に向かって歩いていると、後ろから「めーちゃん?」「あれ?めーちゃん」と聞こえたような気がしたので振り返ったら、甥っ子1が自転車に乗って止まっていた。背後から聞こえた甥っ子1の声は優しかったです。小さい頃からそういう子だったなぁ…と思う声です。ともだちと遊んだ帰りだそーです。

自転車に乗って1人で遊びに行って、時間になったら帰るようになったんだよな〜。しみじみ。

夜は本棚から小袖や能衣装などの本を引っ張り出して眺めました。とってもとっても好きな本です。古書で手に入れたものだったので写真も今よりはよくないけれど、やっぱり好きだと思いました。そして、じーっと眺めながら「むかしの私はこれのどこに興味を持ってワクワクしてたんだろう…」と思いました。もし(もう少し成長した)甥っ子1が目をキラキラさせながらこの本を眺めていたら…と思ったからです。

そのときの細かい気持ちや好みは(ほんのり、ときにハッキリ)覚えているけれど、根っこになる部分は覚えていないです。根っこは考えなかったかもしれないし、わからなかったのかもしれません。なんか好きだったんです。

その、なんか好きにあえて言葉で理由をつけるのだとしたら…と考えます。

なんとなくわかること

新聞局集まり。話していると2年半振りくらいだということが判明しました。なんとなくよく行っているカレー屋でご飯。全員「すっごいひさびさ」と思っていたのに、そうでもなかったみたい。

会っていなかったあいだ、それぞれに変わったり変わらなかったりすることがあったということだけは、わかりました。つぎの旅行はどこに行く?という話にもなったけれど結局なんとなくまとまらないまま別れたから、また何年か後に今日みたいな日が来ているような気もするし、2ヶ月後くらいにどこかに1泊くらいで行っているような気もする。

全員が集まるまえにお能鑑賞。

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私はお能狂言は時々で結構観ていると思います。もともとは10代の頃にお衣装や文化が好きになって、本を随分読むのと並行して博物館でお衣装を眺めて*1いました。実際に観るようになったのはずっと遅く、招待券やチケットをいただくことが多くなったのが、はじまりです。

私から能楽の話をしたことがないし、ほかにもハードルがあるはずなのに*2お能、好きなんちゃう?よかったら行って」とか「この日にいい演目があるんよ、どう?」など言われるのです。なんで知ってるんだろう?と思うんだけど「そんなん、ふふ。なんかわかるやん*3」と言われたことがあって、えーわかんない!ちっともわかんない!

きょうも楽しかったです。鑑賞途中で「ハッ」とすることがあって、どうして私がお能に興味を持ったのか(好きなのか)、ほんのりわかるような気がしました。もしそこに当たらずとも遠くないことが隠れているのだとしたら、今まで考えていた理由よりしっくりきます。これについては、もっと考えてみたい。

 

*1:あとはテレビ。

*2:「生物好き」「本ばっかり読んでる」「食べるの好き」などなど、連想されるハードルがいっぱいあるということです。

*3:これがまた面白いことに、歌舞伎、文楽、ほかの演劇ではなく、能狂言にピンスポットが当たっているかのように…。歌舞伎も演劇も観るし文楽も不思議なご縁があるけれど…もっとも長く興味を持ち続けているのが能狂言であるのも確かです。

たこやき

先日、夜ご飯に食べたたこやき。

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家でも作りたくなりました。たしか「わざわざ買ってみよう」と思って、たこ焼き器を買ったことがあるのを思い出した。

小さい頃は祖父母がよく作ってくれた*1し、東京に住んでいたころは同居人とよく作っていました。当時はまだ「たこやきはたこ(せいぜいコンニャク)」がスタンダードだったと思いますが、いろんな具にチャレンジして楽しかったです。生地はたこ焼き用の粉を使っていたので、ほんのりお出汁の味としょっぱさがある生地だったけれど、これに甘いのは合うね!とか…なつかしい。

同居人はしょうこ、なおちゃん、私。の3人でした。月初に近所のスーパーで配っている1月分のカレンダーを3枚貰ってきて、それを居間に貼って各々の予定を書いていました。そして月に1度「みんなでご飯を食べる日」を決めます。普段は別々で作って、別々で食べているけれど、月に1度はみんなで材料を買って一緒に作って食べていました。

その日に何を作るか?とか、何が食べたいか?とか、それぞれの好みなどを考慮したり、ほんのり無視したりして、考えます。ホットプレートでチーズフォンデュを作ったときなどは私の好みに合わせて白ワインではなく牛乳を入れて、飲む人は白ワインを飲んだり。

いつ思い出しても楽しくなります。

きょうは木版画、なにも出来なかった。ほかの仕事が入っていたので仕方ないんだけれど、こういう時間配分で仕事を入れてしまうと木版が出来ないんだ…これはイカンと痛感する1日になりました。前々から、きょうは仕方のない日だと思っていたけれど本当に仕方のない日になってしまって、さらには他のことも出来なかった。

*1:祖父母はたこ焼き以外にも、面白い料理をいろいろ作ってくれました。大きくなって「これは家独自の食べ物だったんだ!」と気づくものが多かったです。しかも家族でも祖父母の独自料理を楽しんでいたのは私だけだったようなので、再現するには私の記憶しかないのが面白い。